多数は少数よりも正しいか?
1.選挙は多数決だが真理は違う
次週の日曜日は、松江市では投票が行われる予定です。
市議会議員選挙と市長選挙の投票です。
当然、多くの票を獲得した人が当選します。多数が勝ちます。
よくクイズ番組などで、正解者が回答者の中の、
ごく一部という場面を目にします。
よくわかったなあと感心してしまうのですが、
この場合、多数が間違いで少数が正解ということになります。
選挙は多数決で決めますが、真理は多数決では決まりません。
真理を知っている者が、たとえごくわずかだったとしても
真理は真理として変わることはありません。
たとえ大勢が、それは嘘だと思っていたとしても
真理が真理でなくなることはないのです。
2.イエスを正しく理解していた人は少数だった
イエス・キリストが十字架にかけられる前、
人々は総督ピラトの前に、イエスを引き出しましたが、
ピラトは「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」
と言いました。
イエス・キリストは、罪のない本物のメシアだったので
ピラトの言っていることが正解でした。
ピラトの言葉が正しかったのです。
群衆の「イエスは神の子と自称している」という言葉は、
誤りだったわけです。自称ではなく真実だったのです。
多数が誤りで、少数が正しかったのです。
しかしピラトは多数に負けました。
イエスを、十字架につけることを許可してしまいました。
3.キリストを信じて生きる道は狭い
「キリストを信じて救われる」ことは狭い道です。
欲望の中に生きるという広い道を行く人は多いですが
キリストを信じて生きる人は少ないのです。
多数意見を土台にして生きるのではなく、
キリストを土台にして、神の言葉に従って生きていくこと
これこそが、最も重要なことなのです。
【今日の聖書】
「狭い門から入りなさい。
滅びに通じる門は広く、その道も広々として、
そこから入る者が多い。
マタイによる福音書 7章13節