今日のできごと
2016/4/11(月)

 聖歌の706番「エリコの城をかこみ」という賛美があります。
 その5番の歌詞は「もうだめだというときに」で始まります。
 聖書の中には、「もうだめだ」という状況が頻繁に出てきます。
 原因は人間の罪にあるのですが、
 イエス様の話された放蕩息子の話の中でも、
 「もうだめだ」という状況が出てきます。
 放蕩に身を持ち崩し、金に換えてしまった父からもらった財産を
 ことごとく使い尽くし、飢饉になって食べるものにも困り
 父のもとに帰ろうと決断し、父のもとに帰っていった息子。
 「もうだめだ、息子だけれども息子の権利などなくて当然だ」
 「罪を犯してしまったから、父は息子扱いはしてくれないだろう。
  それならば、雇人のひとりにでもしてもらおう」
 自分だったらとてもゆるせない、自分で自分をゆるせない
 当然父もゆるしてくれないはずだ、と考えたわけです。
 父はどうしたでしょうか?
 そういう息子でしたが、父はゆるそうと待っていたわけです。
 自分で自分をゆるせない、
 しかし、それでも父はゆるそうとしていた。
 帰ってきた息子にとって必要だったのは、
 「それでも父は私をゆるしてくれている」と、信じることでした。
 私たちも同じです。「それでも父なる神はゆるしてくださる」
 このことを信じることです。
 【今日の聖書】
 息子は言った。
 『お父さん、わたしは天に対しても、
  またお父さんに対しても罪を犯しました。
  もう息子と呼ばれる資格はありません。』
 ルカによる福音書 15章21節
 しかし、父親は僕たちに言った。
 『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、
  手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。
 ルカによる福音書 15章22節