ヨナの怒りをも用いられた神
1.ヨナはとうごまの木を大いに喜んだ
ヨナは、感情の起伏が激しかったようです。
ニネベの人々が滅びなかったことで、不満一杯だったヨナは、
たった一本のとうごまの木で、大喜びするのです。
すると、主なる神は彼の苦痛を救うため、
とうごまの木に命じて芽を出させられた。
とうごまの木は伸びてヨナよりも丈が高くなり、
頭の上に陰をつくったので、
ヨナの不満は消え、
このとうごまの木を大いに喜んだ。
ヨナ書 4章6節
ヨナは、神の与えてくださったとうごまの木を
大いに喜んだことが記されています。
ところが、これが1日にして枯れてしまいます。
2.ヨナは枯れたとうごまの木のことで激しく怒った
ところが翌日の明け方、
神は虫に命じて木に登らせ、
とうごまの木を食い荒らさせられたので木は枯れてしまった。
ヨナ書 4章7節
焼けつくような東風もヨナに向かって吹いてきて、太陽も照り付けます。
するとヨナは、今度は怒るのです。
「生きているよりも、死ぬ方がましです。」
日が昇ると、
神は今度は焼けつくような東風に吹きつけるよう命じられた。
太陽もヨナの頭上に照りつけたので、
ヨナはぐったりとなり、死ぬことを願って言った。
「生きているよりも、死ぬ方がましです。」
ヨナ書 4章8節
3.ヨナは自分が怒っていることが絶対正しいと思っていた
神はヨナに言われました。
「お前はとうごまの木のことで怒るが、それは正しいことか。」
ヨナは答えます「もちろんです。怒りのあまり死にたいくらいです。」
ヨナは自分の怒りが、絶対に正しいと言っているのです。
「もちろんです」すなわち「もちろん正しいことです」と語っています。
"It is right for me to be angry, even to death!"(NKJV)
「正しいことか?」と問われているということは、
「正しくありません」が答えとなるでしょう。
ヨナの怒りは、正しくありませんでした。
ヨナの怒りは、正しくありませんでしたが、
ヨナが、とうごまを惜しむこと自体は
悪いことでは、ありませんでした。
むすび.神はヨナの怒りを用いてヨナを理解に導いた
ヨナは確かに怒りすぎでしたが、
神は、死ぬほど怒るヨナの怒りを、
うまく用いておられます。
ヨナがとうごまのことで怒るのを用いて、
神がニネベの人の滅びを、なぜ惜しむのかを説明されました。
とうごまの滅びのために、それ程怒るのであれば、
滅びゆく12万人以上の人々を惜しむのは、当然だろう?
とうごまと12万人以上の人々と、どちらが大事か?
わかるか、ヨナよ?と言う具合です。
すると、主はこう言われた。
「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、
一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。
それならば、どうしてわたしが、
この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。
そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、
無数の家畜がいるのだから。」
ヨナ書 4章10〜11節
ただ単に、言葉だけで説得するのでなく、
とうごまの木を使って、神はヨナを教え諭しておられます。
その怒りやすい性格に合わせて、教えられているのです。
もしヨナが忍耐強い人であったら、とうごまの木が枯れても
「まあしょうがないか、一日で生じたものだしな」と言う感じで
とうごまは、効果がなかったかもしれませんが、
感情の起伏の激しい、怒りやすいヨナにとっては
とうごまの件は、効果てきめんだったことでしょう。
「なるほど、神の思いはこういう思いだったのか!」と知ったことでしょう。
自分自身の体験によるレッスンが、一番よく理解できることですが、
神はそれを、ヨナにしてくださったのです。
それはまた、私たちに対しても同じなのです。
【今日の聖書】
神はヨナに言われた。
「お前はとうごまの木のことで怒るが、それは正しいことか。」
彼は言った。
「もちろんです。怒りのあまり死にたいくらいです。」
ヨナ書 4章9節