短気で自己中心なヨナを神は大きく用いられた
1.ヨナの宣教によって12万人以上が救われた
1.1 ヨナの言葉でニネベの人々は悔い改めた
預言者ヨナの宣教によって、ニネベの人々は悔い改めました。
王から始まって、民全体に悔い改めが起こりました。
このことがニネベの王に伝えられると、
王は王座から立ち上がって王衣を脱ぎ捨て、
粗布をまとって灰の上に座し、
王と大臣たちの名によって布告を出し、ニネベに断食を命じた。
「人も家畜も、牛、羊に至るまで、何一つ食物を口にしてはならない。
食べることも、水を飲むことも禁ずる。
人も家畜も粗布をまとい、ひたすら神に祈願せよ。
おのおの悪の道を離れ、その手から不法を捨てよ。
そうすれば神が思い直されて激しい怒りを静め、
我々は滅びを免れるかもしれない。」
ヨナ書 3章6〜9節
1.2 ニネベの12万人以上が救われた
そしてその人数は、何と12万人以上にも及んだと言います。
それならば、どうしてわたしが、
この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。
そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、
無数の家畜がいるのだから。」
ヨナ書 4章11節
1.3 ヨナは大いに用いられた
ニネベの多くの人々の救いのために、ヨナは大きく用いられているのです。
異邦人が、これほど多く救われたという記事は、
旧約聖書の中では、珍しいことです。
神は彼らの業、
彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、
思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた。
ヨナ書 3章10節
2.ヨナはニネベの人々の救いを喜ばずに神に怒った
2.1 ヨナは神の赦しに対して怒った
神は悔い改めたニネベの人々を、赦されました。
にもかかわらず、ヨナは怒り心頭に達しています。
神の素晴らしい御業のために、大きく用いられたにもかかわらず
ヨナは怒ったのです。
神がみわざをなされたことが、不満だったのです。
魂の救いが不満だったのです。
ヨナにとって、
このことは大いに不満であり、
彼は怒った。
ヨナ書 4章1節
2.2 ヨナの怒りは死にたいほどの怒り
預言者が、そんなことで怒るとはあり得ないことのように思います。
よくも神はそんな短気で、自己中心な人を預言者としたものだなあと
そう思わざるを得ないようなことです。
主よどうか今、わたしの命を取ってください。
生きているよりも死ぬ方がましです。」
ヨナ書 4章3節
2.3 ヨナはプライドのゆえ怒っていた
死んだ方がましですとまで、言っています。
ヨナは人々の救いよりも、自分のプライドが大事だったようです。
自分の語ったことが実現しないということに、耐えられなかったのです。
3.ヨナの一連の行動はキリストの復活の預言となった
3.1 ヨナはキリスト復活のモデルになった
けれども、その自己中心のヨナの一連の行動は、
イエス・キリストの十字架の死から、3日目の復活を、
預言するものになっていったのです。
つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、
人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。
マタイによる福音書 12章40節
不思議です。実に不思議です。
3.2 神はヨナの反抗を用いて復活のモデルにされた
ヨナがもし模範的な預言者だったら、決して魚に飲み込まれることは
なかったことでしょう。ヨナが神に反抗して、逃亡したからこそ
嵐が起こって、海に投げ込まれ、魚に飲み込まれているのです。
そして3日の間、魚の腹の中にいることになったのです。
ヨナが悪かったからこそ、魚に飲み込まれ、
それがキリストの死と3日目の復活の、預言的事柄になったわけです。
ヨナの反抗による一連の行動は、すべて神の前で織り込み済みだったのです。
神は、反抗的で短気で自己中心なヨナを用いて
キリストの3日目の復活を、見事に預言されているのです。
ヨナの良い所だけでなく、悪い所もみんなひっくるめて、
ひとつの預言的出来事として、用いられたのです。
単にヨナの「良い行動だけを用いていた」のではないのです。
3.3 ヨナの宣教によって救われたのは紛れもなく異邦人
この時救われたのは、異邦人でした。
キリストによって、救いが異邦人にまで及ぶことの
預言的意味合いも、含まれていたように感じられます。
むすび.ヨナに勝るものイエス・キリスト
ヨナは12万人以上の人を救いに導きましたが、
キリストは、それどころではありません。全世界の人々に及んでいるのです。
イエス・キリストは言われました「ヨナに勝るものが、ここにいる」
まさに、イエス・キリストはヨナによって預言された救い主であり
ヨナに勝る、全世界の救い主だったのです。
【今日の聖書】
イエスはお答えになった。
「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、
預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。
つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、
人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。
ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、
彼らを罪に定めるであろう。
ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。
ここに、ヨナにまさるものがある。
マタイによる福音書 12章39〜41節