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過去の説教 聖書箇所
2018年1月1日(元旦・月) ルカの福音書 2章21-40節

21 八日が満ちて幼子に割礼を施す日となり、幼子はイエスという名で呼ばれることになった。胎内に宿る前に御使いがつけた名である。

22 さて、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子を主にささげるために、エルサレムへ連れて行った。

23 ──それは、主の律法に「母の胎を開く男子の初子は、すべて、主に聖別された者、と呼ばれなければならない」と書いてあるとおりであった──

24 また、主の律法に「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽」と定められたところに従って犠牲をささげるためであった。

25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。

26 また、主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。

27 彼が御霊に感じて宮に入ると、幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の慣習を守るために、入って来た。

28 すると、シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。

29 「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。

30 わたしの目があなたの御救いを見たからです。

31 御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、

32 異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」

33 父と母は、幼子についていろいろ語られる事に驚いた。

34 また、シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。

35 剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現れるためです。」

36 また、アセル族のパヌエルの娘で女預言者のアンナという人がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代のあと七年間、夫とともに住み、

37 その後やもめになり、八十四歳になっていた。そして宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていた。

38 ちょうどこのとき、彼女もそこにいて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った。

39 さて、彼らは主の律法による定めをすべて果たしたので、ガリラヤの自分たちの町ナザレに帰った。

40 幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちていった。神の恵みがその上にあった。

(新改訳聖書第3版


過去の説教 全文

2018年1月1日 主の命名日・元旦礼拝


幼子の名はイエス     ルカの福音書 2章21-40節


牧師 若林學      


 
 わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とがあなた方の上にありますように。アーメン。

昨日12月31日の朝日新聞を見ますと、その第一面には「団塊ジュニア。産めなかった、産まなかった。」という大きな表題が載っていました。団塊ジュニアというのは団塊の世代であるわたしたちの年代の子供たちです。わたしたちの子供たちが子供を産めず、産まなかったというのです。その理由は東京一極集中化が進み、日本の全人口の3割近くの人が首都圏に住んでいる、ということにあるというのです。そのために東京都の合計出生率は全国最低で、かつ婚姻率も低いのだそうです。2017年の東京都の出生率は全国47位で1.15、ちなみに新潟県は32位で1.42、1位は沖縄で1.86です。そして全国平均は1.46です。東京都も低いけれど新潟県も低いですね。人口増加に必要な最低出生率は厚生省の発表によると2.08だそうですので、これでは人口が減るのも当然です。それなのに有効な対策が無いのだそうです。なにか恐ろしい感じが致します。

その東京の問題は、高い家賃、長時間労働、保育施設不足、親族や地域のつながりの乏しさ…だそうです。人口問題に関しては、東京はブラックホールだそうで、そんな恐ろしい東京のど真ん中で、わたしの未婚の二人の子供は働いています。道理で結婚もしなければ、また当然孫もできないわけです。本当に寂しい話です。

そのような少子化傾向の昨年一年間に生まれた子供に付けられた名前のランキングがインターネットに発表されていました。男の子の第一位は「湊(みなと)」ちゃんでした。サンズイに楽器を演奏するの「そう」と書きます。「そう」とか「みなと」と読むのだそうです。女の子の一位は「楓(かえで)」ちゃんです。木偏に風と書きます。男の子の名前の湊という漢字は「集まる」という意味を持っているそうです。「物や人の集まるところ」です。この意味から、名前を付けた親御さんはこの子の所に人が集まって来て欲しい、と願ったのかもしれません。女の子の名前の楓は「風を媒介にして薄い種が飛ぶ」という意味を表すのだそうです。名付けの親御さんは遠い意味で沢山の子宝を願ったのかもしれません。物や人が集まるという意味の湊ちゃんや、沢山の子宝の意味も感じられる楓ちゃんは、なぜかこの少子化時代にあってなんとか人口を増やしたいという願いが親御さん達の中にあるような感じが致します。

さて、12月24日の夜にお生まれになったわたしたちの主は8日後の本日「イエス」と正式に呼ばれるようになりました。遡ることおよそ10か月前の受胎告知の日に、御使いガブリエルがマリヤさんに現れて、「御覧なさい。あなたは身ごもって男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。」と命じた名前です。ガブリエルは御使いですから神様の使いに過ぎません。ですから「イエス」という名前は父なる神様がお付けになった名前ということになります。この名前はもう皆様ご存知の通り、ヘブル語で「ヨシュア」と言い、「ヤーウェは救う」という意味です。父なる神様であるヤーウェ様は「わたしは、人間が救われたら良いのになぁ。」と願っているのではありません。そうではなく、「わたしはこれから、必ず人間を救いに導くぞ。」という決意を表しておられること示しています。

それでは今まで神様は人間を救って来られなかったのかと言いますと、そうではありません。ご自分がアブラハムやモーセやイスラエルの民に直接現れて救おうとされましたが、人々は神様の恐ろしさに圧倒されて信じる者は僅かでした。その後も預言者を通してイスラエルの民を救おうとされましたが、かえって離れて行ってしまうばかりで、信じた人はわずかだったのです。しかし今、と言ってももう2000年も経っていますが、父なる神様は御子イエス様をこの世に送ってくださいました。神様ご自身を人間の目に見えるようにしてくださったのです。この人間の目に見える神様を信じれば、救われるようにしてくださいました。目に見える神様さえ信じることができないのなら、目に見えない神様を信じることはなお更できません。目に見える神様を人間が作れば、それは偶像です。しかし神様が産めば偶像ではありません。それは神様です。神様は人間の目に見える「生きた神様」を産んでくださったのです。そしてこの生ける神様を信じる人を救うことにされました。ですからこのお方のお名前の「イエス」は、「ヤーウェは救う」という神様の強い意思を表しているのです。

神様はこの生ける神様を産んでくださることを、なんと天地創造の時から預言されておられました。アダムとエバが神様の言いつけを破って禁断の木の実、「善悪を知る知識の木」から取って食べた時、「女の子孫」を遣わすと約束なさいました。創世記3章15節です。その女の子孫がこのイエス様です。従ってイエス様は神様にとって最後の手段となります。ですからこの世はイエス様がお生まれになった時点で最後の時代、終末の時代に突入したのです。「しゅうまつ」と言っても一週間の終わりではありません。この世の終わりのことです。この終わりの時代に当たり、イエス様はこのように言われました。「わたしが道であり、真理であり、命なのです。わたしを通してでなければ、誰一人父の御許に来ることはありません。」ヨハネ福音書14章6節です。イエス様はご自分が神様のもとに続く唯一の道であることはっきり宣言されました。もしイエス様を信じるならば、イエス様がその人を必ず救って下さるという意味です。これが真理です。そしてその人にご自分が持っておられる永遠の命を与えてくださいます。これ以外に救われる道はないのです。

さてヨセフさんはイエス様に割礼を施した後、マリヤさんに律法に記された血の清めの期間を守らせました。33日間こもらなければならないのです。その間は聖なる物に触れてもならないし、聖所に来てもならないのです。この規定は母体の出産後の回復を確実なものとするためにとても素晴らしい戒律ではないでしょうか。それゆえにヘブル人は多産であったと思われます。人口を増やすために今の日本に必要な戒律かもしれません。

そしてその後両親は主に捧げるためにイエス様をエルサレムに連れて行きました。それは律法に、「母の胎を開く男子の初子は、すべて、主に聖別された者、と呼ばれなければならない」と規定されているからです。「主に聖別された者」とは「主の所有である者」という意味です。ヨセフさんはレビ人ではありませんから、我が子を主から買い戻さなければなりません。その金額は聖所のシェケルで銀5シェケルでした。(民数記18章16節)またヨセフさんはマリヤさんの出血の清めのために、1歳の子羊1頭と鳩を1羽捧げるか、あるいは2羽の鳩を捧げなければなりませんでした。(レビ記12章6‐8節)律法をきちんと守ろうとするといろいろと出費がかさむものです。でもそれによって、一つ一つ主の定めを行った、というけじめがつくのです。また神殿の方もそのお金で神殿の維持や祭司とレビ人の生活を支えることができるのです。

ヨセフさんがこれら律法に規定されていることを全て行なおうとして神殿に入ってきた時、御霊に導かれてシメオンという人が幼子イエス様の前に現れました。シメオンは正しい敬虔な人で、イスラエルが慰められること、即ち救われることを待ち望んでいた人でした。また主のキリスト、すなわち「ヤーウェの一人子救い主」を見るまでは決して死なないと、聖霊様のお告げを受けていた人でした。その聖霊様に導かれてシメオンは主のキリスト・イエス様をその腕に抱くことできたのです。そして神様をほめたたえて言いました。この讃歌の中に2回「御救い」という言葉が出てきます。30節の「あなたの御救い」も31節の「御救い」も「ヤーウェは救い」という意味のイエス様のお名前で、いずれもイエス様のことを指しています。シメオンはイエス様を「万民の前に供えられたもの、異邦人の啓示の光」であると歌っています。「救い主イエス様はイスラエル人だけのものではありませんよ。全世界の人々のためのものですよ。」と宣言しているのです。このことは、シメオンが聖霊様に満たされ預言していることを表しています。

聖霊様に満たされたシメオンはヨセフさんとマリヤさんを祝福した後、さらにマリヤに預言して言いました。「この子、主のキリストは、イスラエルの多くの人が救い主と信じることができずに滅び、また多くの人が救い主と信じて救われる、試金石のようなお方として定められています。それだけでありません。イスラエル人の指導者層の人々によって反対を受けてしまうお方です。その結果このお方は死ぬことになり、その様子を見てマリヤさん、あなたの心は剣で刺し貫かれたような痛みを感じるようになります。それは全世界の人々の心の思いが罪に全く穢れており、自分ではどうにも始末できないことを自覚するようになるためです。」つまりシメオンは幼子イエス様が将来、救い主として現れ、人々から拒絶されるけれども、信じて救われる人々もいる。さらに指導者層の反対を受けて、十字架にかけられ、この十字架上の死によって多くの人々が救われるようになることを暗に預言したのです。

また84歳の老女である女預言者アンナもそこにいました。まずアンナは、約束されていた主のキリスト、救い主が終に来られたことを神様に感謝しました。そしてエルサレムの贖いを待ち望んでいる人々に、この幼子がエルサレム、すなわちイスラエル人全体の罪の身代金であり、イスラエル人の罪の身代金として十字架にかかられることを預言したのです。

ヨセフさんとマリヤさんは主の律法にあることを全て果たしたので、ガリラヤの自分の町ナザレに帰りました。イエス様はこのナザレで育ち、成長し、強くなっていきました。また知恵も満ちて行きました。このことはイエス様が全く人間の子供として、体と知恵とにおいて成長していかれたことを示しています。人間の子供として不自然なところはみじんもなかったのです。ですからイエス様が御使いガブリエルから、「いと高き方の子と呼ばれる」と言われたことも、シメオンから「主のキリスト」と呼ばれたことも、アンナから「エルサレムの身代金」と預言されたことも、マリヤさんは全く気にしませんでした。神の恵みがその上にあったからだと福音記者ルカは語っています。全ての災いから守るという広い意味の神の恵みによって、イエス様は特別な子供として見られることはなく、全く普通の子供として育っていかれたのです。

本日から数えて8日前にお生まれになったマリヤさんの赤ちゃんは、「ヤーウェは救い」という意味を持つイエスと名付けられました。この名前は父なる神様が命名されました。このように父なる神様は、「人間の目に見える肉の体を持つ生ける神」を産んでくださったのです。それは老預言者アンナが預言したように、イスラエル人の身代金として全イスラエルを救うためであり、それだけでなくシメオンが預言したように、全世界の人々がこのお方を見て信じるようになるためであり、信じて救われるためでした。そうなるように父なる神様は生ける人間の姿をした神様を産んでくださったのです。ですからここに、父なる神様の人間を罪から救おうとされる断固たる決意が見られます。したがってこのお方イエス様が救われる唯一の道となります。このお方以外には救いの道はないのです。このことを示すためにクリスマスにお生まれになった赤ちゃんは、本日イエスと命名されたのです。主イエス様は言われました「わたしが道であり、真理であり、命なのです。わたしを通してでなければ誰一人父の御もとに来ることはありません。」この唯一の道、イエス・キリストを信じ、罪赦され、天の御国に入れていただき、全ての災いから守られた、祝福された人生を、歩む者とさせていただきましょう。


 人知では到底はかり知ることのできない神の平安が、あなた方の心と思いとを、キリスト・イエスにあって守られますように。アーメン。

©2018 Rev. Manabu Wakabayashi