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 WELCOME to KOBARI EVANGELICAL LUTHERAN CHURCH !

過去の説教 聖書箇所
2017年12月3日(日) マルコの福音書 11章1-10節

1 さて、彼らがエルサレムの近くに来て、オリーブ山のふもとのベテパゲと
  ベタニヤに近づいたとき、イエスはふたりの弟子を使いに出して、
2 言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗っ
 たことのない、ろばの子が、つないであるのに気がつくでしょう。それを
 ほどいて、引いて来なさい。
3 もし、『なぜそんなことをするのか』と言う人があったら、『主がお入用
 なのです。すぐに、またここに送り返されます』と言いなさい。」
4 そこで、出かけて見ると、表通りにある家の戸口に、ろばの子が一匹つな
 いであったので、それをほどいた。
5 すると、そこに立っていた何人かが言った。「ろばの子をほどいたりし
 て、どうするのですか。」
6 弟子たちが、イエスの言われたとおりを話すと、彼らは許してくれた。
7 そこで、ろばの子をイエスのところへ引いて行って、自分たちの上着をそ
 の上に掛けた。イエスはそれに乗られた。
8 すると、多くの人が、自分たちの上着を道に敷き、またほかの人々は、木
 の葉を枝ごと野原から切って来て、道に敷いた。
9 そして、前を行く者も、あとに従う者も、叫んでいた。「ホサナ。祝福あ
 れ。主の御名によって来られる方に。
10 祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所
 に。」

(新改訳聖書第3版


過去の説教 全文

2017年12月3日  待降節第一主日


ロバの子に乗られるイエス        マルコの福音書11章1-10節

牧師 若林學      

わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とがあなた方の上にありますように。アーメン。

先週金曜日に、天皇陛下の退位される日取りが再来年の4月30日と決まったことが報じられました。天皇陛下は日本全国を巡られ、自然災害に被災された方々を見舞い、先の大戦の激戦地であったところを慰霊訪問されました。そのお姿は謙遜そのもので、特に被災地を訪問された時は避難所を訪れて床に膝をつかれ、被災された人々と同じ目線で慰めの言葉をかけておられました。天皇陛下と皇后陛下に会われた方々は異口同音に、両陛下の謙遜な姿に心を打たれ、「お声をかけてくださったことは、一生忘れられない。」と言っておりました。このように精神的に国のトップにおられる方が、腰を低くして国民に接してくださるのはとても素晴らしいことです。


イエス様もイスラエル各地を巡られました。そして貧しい者たちに御国の福音を宣べ伝え、目が見えない人を見えるようにし、耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口のきけない人をきけるようにし、病人を癒し、悪霊を追い出し、死人を生き返らせ、罪人と呼ばれる人たちを救いに導きました。イエス様こそが神様なのに、腰を低くして一般民衆と交わり、悲しみに沈んでいる人たちを力づけ、希望を与えたお方です。3年に渡る公生涯の間、いつも徒歩で不遇な民衆に接したお方が、この度初めて大勢の人々の賛美に囲まれ、ロバの子に乗られてエルサレムの町に入城されました。十字架上で亡くなる六日前の日曜日の出来事でした。


なぜイエス様はその公生涯の終わり、つまりご自分の人生の終わりに、ロバの子に乗られたのでしょうか。本日の聖書箇所には書いてありませんが、マタイの福音書21章4節にその理由が示されています。「これは、預言者を通して言われた事が成就するために起こったのである。」預言者とはゼカリヤです。預言者ゼカリヤはそのゼカリヤ書9章9節でこのように預言しています。「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。」イエス様は、父なる神様のこの預言の言葉に従われたことが分かります。そして群衆もこの預言の言葉に従って、大いに喜び、喜び叫んだことが分かります。


この預言の成就のためにイエス様は、エルサレムの東側に位置するオリーブ山の、その東側のふもとでロバの子を入手されました。


私たち夫婦は4年前イスラエル巡礼の旅をしたとき、エルサレム市内見物に6日間費やしました。その二日目にオリーブ山ウオーキングツアーに参加しました。まずバスでオリーブ山頂上まで運ばれ、最初に訪れた場所は主が昇天されたといわれる場所に立つ昇天教会でした。それから主が弟子たちに「主の祈り」を教えたといわれる洞窟の上に立つ主の祈りの教会、そしてエルサレムを一望できる展望台に連れていかれました。イエス様の時代、ヘロデ大王が建てた荘厳なユダヤ教の神殿があった場所には現在、イスラム教の金色に輝く岩のドームが建てられております。当時を思い、目の前に燦然と輝く金色のドームが見えてきた時には感激しました。その岩のドームを中心に左右に広がるエルサレムの町の光景は素晴らしく、時間が経つのも忘れて見ておりました。オリーブ山とエルサレムの標高差は25mほどです。オリーブ山の展望台からエルサレムを見おろすのは、この小針の高台から新潟の町を見おろすのとほぼ同じです。そのあと涙の形をしている主の泣かれた教会やマグダラのマリヤの教会、ゲッセマネの園、万国民の教会、マリヤの墓の教会を訪れました。ツアー終了後、ガイドさんと共に歩いてなだらかなオリーブ山を下り、石棺が並ぶ道を歩き、ケデロンの谷に建つアブシャロムの墓の前を通り、王の谷を歩き、糞門からエルサレムの旧市街に帰って来ました。しかし残念なことに、わたしたちの参加したツアーはオリーブ山から反対側にあるベタニヤの方面には訪れませんでした。それで想像ですが、オリーブ山のふもとのベタニヤやべテパゲからオリーブ山の頂上までは、多分同じようななだらかな登り坂だと思われます。ロバの子が大人のイエス様を載せて歩んだぐらいですから、急勾配とは思えません。


イエス様はご自分でロバの子を連れてくることはなさらずに、二人の弟子に命じられました。「向こうの村に入りなさい。」この様に言われると、イエス様たちのはるか向こうに村が見えるように感じますが、ギリシャ語原文では「あなた方の向い側にある村」とか「あなた方の目の前の村」と書いてあり、イエス様たちとロバの子がいる村とはそんなに距離が無いように思われます。


そして続けて言われました。「村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない、ろばの子が、つないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて、引いて来なさい。もし、『なぜそんなことをするのか』と言う人があったら、『主がお入用なのです。すぐに、またここに送り返されます』と言いなさい。」この様にイエス様が事細かく指示されたのは、ご自分が千里眼の持ち主であり、また未来に起こることを細部に至るまでお見通しのお方であることを弟子たちが知るためでした。つまり、ご自分が神であることを弟子たちが知って、その証言を記録として残し、後の世代の者であるわたしたちがイエス様を信じるようになるためでした。この二人の弟子たちの証言が4節から6節に書いてあります。まさにイエス様の言われるとおりだったのです。


7節と8節を見ますと弟子たちだけでなく、多くの人々が予めイエス様から指示を受けたかのように行動しています。「そこで、ろばの子をイエスのところへ引いて行って、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。すると、多くの人が、自分たちの上着を道に敷き、またほかの人々は、木の葉を枝ごと野原から切って来て、道に敷いた。」


弟子たちは当然のことのようにロバの子の上に自分たちの上着を掛け、イエス様は当然のことのようにそのロバの子に乗られ、多くの人々は当然のことのように道に自分たちの上着を敷いて、あたかも王様が歩まれるような準備をし、またある者は葉っぱの多く茂った枝を野原から切って来ています。共観福音書のマタイ、マルコ、ルカの3福音書はいずれも、弟子たちと大勢の人々がなぜ一糸乱れず機能的な行動を取ったのか、その理由を述べていません。しかしヨハネの福音書12章16節を見ますと、その理由がこのように書いてあります。「初め、弟子たちにはこれらのことがわからなかった。しかし、イエスが栄光を受けられてから、これらのことがイエスについて書かれたことであって、人々がそのとおりにイエスに対して行ったことを、彼らは思い出した。」その場にいた弟子のヨハネでさえ、なぜ自分たちがこんなことをしているのかわからなかったと告白しています。つまり、イエス様は最初二人の弟子たちに口頭で細かく指示しましたが、その後は弟子達だけでなく群衆の心の中に直接細かく指示を出されたのではないか、と思われます。


もしそうだとすると、なぜイエス様は人々の心を操るようなことをされたのでしょうか。先の使徒ヨハネの説明によると、これらのことはイエス様が操られたのではなくて、父なる神様が動かされたのだというのです。使徒ヨハネはこのように言っています。「これらのことがイエスについて書かれたことであって、人々がそのとおりにイエスに対して行なわれた。」つまり、預言の通りに人々が動かされたというのです。預言とは最初に述べたゼカリヤの預言です。「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。」すなわち、「我が子イエスが王としてロバの子に乗ってエルサレムに入城するのだから、皆そのように動きなさい。」と父なる神様が人々の心に働きかけたのだと、使徒ヨハネは説明しているのです。


ですから人々の口に讃美の言葉を授けたのは同じ父なる神様ということになります。「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。」と激励される神様に押し出されて、人々は喜び叫んだのです。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所に。」


「ホサナ」とはヘブル語であって、その意味は詩編118篇25節にある言葉です。「どうぞ救って下さい。」と神様に祈る言葉です。「主の御名によって来られる方」とはイスラエルの神様ヤーウェの名代として来られる方という意味で、イエス様のことです。「われらの父ダビデの国」とはダビデの子イエス様の治める「天の御国」のことです。「いと高きところ」とは神様のお住まいで、転じて「神様」のことです。そして「祝福あれ」と翻訳されている言葉は「幸いな」とか「祝福された」と翻訳すべき言葉です。ですから群衆はこのように叫んでいました。「どうぞ救ってください。ヤーウェの名代で来られた祝福されたイエス様。今来られたダビデの子であるイエス様のなんと幸いな天の御国に。いと高きところにおられる神様、どうぞ救って下さい。」父なる神様は群衆に、「何時もわが子イエスに救いを求めるように、そして天の御国に入れてもらえるように願いなさい」と導かれたことが分かります。


 そしてこの救いを求める群衆の歓喜の中をイエス様はロバの子に乗ってエルサレムの町に入城されました。なぜロバの子なのでしょうか。「ロバ、ラクダ、女の人は荷物を運ぶもの」とは、中近東の人々が昔から言っている言葉です。特にロバの子は柔和そのもので、誰でもその上に乗ることができたそうです。ですからロバの子に乗ることによってイエス様はご自分が柔和なお方であること、すなわち、ご自分に救いを求めてくる人は誰にでも、退けられることなく、全て二つ返事で救いに導かれることを示されたのです。

このようにイエス様は十字架にかかる六日前の日曜日、大群衆の賛美の行列に囲まれ、柔和なロバの子に乗ってオリーブ山からエルサレムの町に入城されました。特にロバの子に乗ることによって、御自分が昔から預言されていたまことの王であり、ご自分に救いを求めてくる人には誰にでも救いを賜る方であることを明確に示されました。ですからイエス・キリストを神様と信じましょう。そうすればあなたも罪の滅びから確実に救われます。救われるだけでなく父なる神様からの祝福があなたとあなたの家族の上に及びます。あなたもまた神の家族の一員であるシオンの娘、エルサレムの娘となり、神様からの豊かな祝福に大いに喜び、大いに喜び叫ぶ者となるのです。

人知では到底はかり知ることのできない神の平安が、あなた方の心と思いとを、キリスト・イエスにあって守られますように。アーメン。

©2017 Rev. Manabu Wakabayashi