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アイデンティティ−クライシスから救われて
(主婦 米国在住)

 

宇治バプテスト教会の皆様、こんにちは。

 私は2年前にクリスチャンになりました。学生時代はカトリック系の大学に通っていましたので、学校行事の一つとしてミサにも出席したことがあります。現在、南部バプテストの教会に通っています。メンバーは2〜3百名です。大きい子供たちは大人の礼拝に出ます。礼拝ではバンドによる讃美が30分程度あり、手拍子で歌うので、最初はうるさくて「神聖ではない。ここは教会ではない」などと思いました。今は慣れてきました。終わりの讃美の時には、祈ってもらいたい人々が牧師のもとに進み出てきます。

 私がクリスチャンになったのは結婚して4年目の年でした。移民手続きが手間取り日本に帰国できませんでした。子供が生まれましたが、私の英語力で子供の語ることを理解してあげることができるだろうか、とても不安でした。私は子供の頃からずっと心に空虚感をもっていました。やさしい両親に育てられ、比較的恵まれた生活を過ごしていましたが心の穴は埋まりませんでした。結婚したら、子供が生まれたら、きっと満たされるだろうと思っていましたが、埋まりませんでした。そんな状態の中で結婚生活にも溝がいました。

英語も完全ではない、日本語もどんどん忘れてゆく。アメリカ人らしくしていてもやはり日本人。みんな中途半端。「私は誰?」「どこから来て、どこへ行くの?」アイデンティティークライシスに襲われ、「助けて」と祈っていました。そんな時、友人が聖書を読み、「イエス様の十字架と復活を心から信じ、告白したならば救われます」と勧めて下さいました。私は帰宅した後、信仰を告白し救いをいただきました。

私は日本語で聖書を読むか、英語で読むか迷ったことがありました。でも大切なことは、「イエス様ならどうされるかな」と考えることだと気づかされました。私たちは神様を「枠」にはめてしまい易いと思います。聖書と祈りによって、イエス様に従ってゆくことが全てですね。 

教会は建物ではなく、信徒の心の交わりがあるところが教会だと思います。イエス様と私と兄弟姉妹と、信仰を大切にしてゆきたいと願っています。

「私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」(詩篇139・24)

  

2003年4月20日