35 ロ−マ人の手紙  題 「恵みで残された者」 2003/9/1

         

聖書箇所 ロマ9:24−30

「たといイスラエルの子供たちの数は海辺の砂のようであっても、救われるのは残されたものである。」(21)  


聖書とイスラエル(4)


神殿の丘

今日のテ−マは「残された者」です。残された人々と聞けば、葬儀を出した御遺族や未亡人、落伍者、落ちこぼれなど、取り残された人というマイナスのイメ−ジが出てきます。しかし聖書、特に旧約聖書においてはたいへん重要なことばであり、神様の御計画のために「特別にとっておかれた人」という積極的な意味があります。 

イエス様を否み続けるイスラエルは神様から見放されて捨てられてしまうのかという問いに、パウロは預言者イザヤのことばを引用して「救われる少数の残される者がいる」と答えます。「残される者」はどんなに邪悪で不信仰な時代にも神様への信仰を忠実に守りぬいている人々を指します。このような人々がいたからこそイスラエル民族は滅びることがありませんでした。パウロは11:3-6においてこの問題を詳しく取り上げています。預言者エリヤについて以下のように記されたいます。

1 7000人の「残れる者」

列王17−18章に記されているように、イスラエル王アハブはイザベルというペリシテ人の女性を妻に迎えました。後に彼女はイスラエル史上最大の悪女として歴史に名を残します。彼女の最大の悪業は農業の女神バールを持ち込み、イスラエル人を偶像礼拝に陥れたことでした。バールの神殿を建て祭壇を築き、数百人の神官たちによって神々への祭礼を司らせました。その上、まことの神につかえる祭司や預言者を殺したのです。そのとき預言者エリヤが神様によって立てられ、彼は命がけで宗教改革を断行しました。カルメル山で直接対決をし、バ−ルの祭司預言者850名を剣で殺してしまいました。このため王妃イザベルに激しく憎まれいのちを狙われます。孤軍奮闘の闘いに疲れ果て、弱さを覚えて神様に「もう十分です。いのちをとってくださってもいいです」と文句を言ったとき「バールにひざをかがめないもの7000人が私のために残してある」(11:4)と言われ、気落ちしたエリヤを励ましてくださいました。

エリヤはもはやこの国に、正しい信仰を堅持しバール礼拝に屈しない者はもう誰もいない。自分ひとりだけが孤独な戦いをしていると思い込んでいました。みんなイザベルの怒りに触れることを恐れ偶像礼拝に妥協してしまっていると思い込んでいました。自分ひとりで全てを背負い込んでしまい疲労困憊、燃え尽きてしまったエリヤに対して、神様はエリヤと同じように神に忠誠をつくし妥協することなく試練にも耐えて神に従っている7000人もの仲間がいることを教え、勇気づけたのでした。エリヤだけが一人でたたかっているのではない。彼も仲間のひとりにすぎなかったのです。「今も、残された者」がいる、神の恵みに支えられて神様のご計画のためにとっておかれた人々がいる、それゆえイスラエルは決して滅びないとエリヤもそしてパウロも未来に希望を託すことができたのでした。

恵の選びによって残された者

エリヤの時代の7000人は、信仰の立派な人々という見方もできますが、神によって残された人々でした。「残った人々」と「残された人々」とは異なります。前者は自分の信仰や熱心さでがんばった人、後者は神がその信仰を神の恵みをもって支えてくださった人といえます。

1 残された者は「少数」かもしれません。しかし必ずしも数は力ではありません。信仰の世界では、神様への忠実さ、誠実さ、献身と奉仕の精神が力です。ですから数を誇るのではなく、あるいは数によって支えられている力を誇るのではなく、純粋な神への奉仕の心をお互いに喜び合いたいものです。イエス様は「恐れるな小さい群れよ、御国を下さることはあなたがたの父の御心である」(ルカ12:32)と約束してくださいました。

ある先生が、「残された者」は神様の「とっておきの人」だといいました。おいしいものを最後に残しておくように、たとえ少数であっても、残された人々とは特別に恵みによって選ばれた人々を指します。日本人1億2000万人の中のキリスト者は約80万人。一人一人はまさに「取って置きの」存在です。ですから神様への始めの愛を失わず、お仕えする心、ささげる心、祈りの心を忘れず、歩んでまいりましょう。

2 残された者は「偶像に心を明け渡さない者」たちでした。イスラエルの神のみを我が神と告白することを誇りとした人々でした。イエス様だけを私の神、私の救い主として歩む者を、神がその信仰をしっかりと支えてくださることでしょう。私たちに志を与え、導き、完成させてくださるのは神ご自身なのですから。

3 残された者は「現実の生活の場において困難に耐える者」でした。イザベルの宗教的迫害がどんなに厳しいものであったか想像できますが、彼らは腰砕けにならず、試練や誘惑にも耐えました。神様はその忍耐をよく覚えておられ必ず余りある報いをご用意しておられます。

「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。」(ヤコブ1:12)

一人の兄弟が水商売関係から救われ、百科事典のセールスの仕事に就きました。しかしなかなか契約が取れず、完全歩合制でしたから生活にも事欠く状況に陥りました。ある新興宗教に属している上司が形だけでも入会したら大口の契約を譲ってあげると勧誘してきました。彼は迷いましたが神様を信頼する道を選び断りました。なんとその日、初めての大口の契約がとれたのでした。神様からのプレゼントだったと思います。大喜びで帰ってきた彼の笑顔を私は忘れることができません。主に信頼するものは失望させられないのです。

4 残された者が歴史を変えた

神様に信仰を支えられて、残されるわずかな者たちによってしばしば歴史は作られ、あるいは変えられます。日本の最初の女医は荻野吟子というクリスチャンでした。彼女は17歳で資産家に嫁ぎましたが、女道楽の激しい夫に性病を移され2年後には離縁されました。この世的な幸福から一転してどん底に落とされた吟子でしたが、彼女もまた「残された人」でした。屈辱感に苦しんだ吟子は同じ思いを他の女性にさせたくない、女性の医者が必要だと決意したのでした。

   苦学して医学校に進みました。女医を認めない明治の封建制度の厚い壁を突き崩し、ついに34  歳のとき女医となり、本郷湯島に「産婦人科医院」を開業したのです。後に再婚し牧師となった  主人とともに北海道で医療伝道に励みました。

イエス様を信じて生きているあなたも、残された人、取って置きの人、そして神様のご計画のために残されている尊い存在なのです。神様のために、あなたを必要としている誰かのためになくてはならない「取っておき」の人なのです。このことを心に覚え、今月の聖餐式に預かりましょう。豊かな主イエスキリストの恵みを感謝しましょう。

祈り

私たちを選び、とっておきの民として残してくださり心より感謝いたします。あなたから託された働きを喜びをもって果たしていくようにわたしたちを導いてください。

                                      

     

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