2014年度 主日礼拝
2014年2月2日

題「聖書を開き、聖書に聴き、聖書に従う」
使徒17:1-12

パウロの率いる宣教チ−ムはマケドニア州第1の植民都市ピリピをあとにして、150kmほど南に下った次の目的地であるテサロニケに向いました。テサロニケはマケドニア州の首都であり当時20〜30万人が住んでいたといわれています。この都でパウロたちは3週間近く毎日のようにユダヤ人が集う会堂に出かけ、旧約聖書からキリストを解き明かしました。その結果、「幾人かのユダヤ人」「大勢の神を敬うギリシャ人」「貴婦人たち」(4)「ヤソン家族」(9)が救われました。しかしながらテサロニケにおける宣教の前進は、激しいユダヤ会堂からの迫害を招きました。激怒したユダヤ人たちが町のならず者たちをかり集めて、暴動を引き起こし、役所に訴え出るという事件がおきました。パウロ一行を宿泊させていたヤソンの家が暴徒によって襲われるに及んで、「兄弟たち」(10)はパウロとシラスの身の安全のため、二人をベレヤへと送りだしました。「兄弟たち」すなわち、ピリピに続いてテサロニケにおいてもクリスチャンの共同体(群れ)がわずかな期間の間に、誕生していたことがわかります。パウロがこれほどの効果をあげた秘訣を二つの立場から今朝、私たちは学ぶこととしましょう。

1.  福音を語る側から

パウロたちは新しい宣教地に入れば、まずユダヤ人の会堂を見つけてそこで教えました。信仰と生活の基盤に旧約聖書を置く人々が集っていたからです。パウロは「聖書に基づいて」彼らと論じ、説明し、論証しました(2)。テサロニケにおけるパウロの伝道方法の中心は、論じ、説明し、論証することでした。

論じるとはディスカッションすること、説明は丁寧に解き明かすこと、論証とは証明して結論づけることを意味します。

まず、対話形式で「あなたはメシアをどう思いますか」と自由に語ってもらったことでしょう。続いてクリスチャンにとってもユダヤ教徒にとっても共通の基盤である旧約聖書に預言されているメシヤがどのようなお方か、乙女より(イザヤ714)、ダビデの町ベツレヘムで生まれ(ミカ52)、苦難を受けさらには死者の中からよみがえられるお方でもあること(イザヤ53)を解き明かしていきます。ユダヤ人は、ロ−マの支配を打ち砕き、かつてのダビデ王やソロモン王のように神聖ユダヤ国家を建設する軍事的政治的なメシアの到来を期待していました。パウロは彼らの持つこのような固定概念や先入観を崩していきます。決して感情的になることなく知的に論理的に「旧約聖書が教える本来のメシア」とはどのようなお方なのか解き明かしていきました。そしてほんらいのメシア観が理解できた人々に対してパウロはじめて、ナザレのイエスを指し示したのです。ベツレヘムでマリアを母とし聖霊によって生まれたイエス、33年半の罪のない清い生涯をガリラヤで過ごし、最後はみずから進んでカルバリの十字架の上で死なれたイエス、葬られた墓をローマ兵が厳重に見張りをしていたにも関わらず3日後に死の力を打ち破ってよみがえられたイエス、このおかたこそが約束されていたメシアであり、キリストであること、この方以外には神の民を救うことができる方はおられないことを確信に満ちて語ったのでした。

「この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」(使徒4:12)

かつてイエス様の十字架の死を目撃し、失意落胆のうちに生まれ故郷エマオに帰ろうとしていた2人の弟子たちに、復活されたイエス様が現れ、道中、彼らに聖書を解き明かされました。その時、二人の弟子たちの心は熱く燃え上がり(ルカ2432)、大きな喜びに満たされすぐさまエルサレムへと引き返したのでした。

御言葉自身に力があります。ですから特別な演出や音楽やエンタ-テイメントなどは、本来は不要なのです。みことばをみことばとして解き明かし説明していく、「聖書中心の宣教」は、テサロニケにおけるパウロの伝道の大きな特徴でした。ピリピでなされた悪霊の追放や牢獄を揺さぶった大地震などの奇跡もテサロニケでは必要ありませんでした。目を見張るような奇跡や大きな刺激は、さらなる次の刺激を追い求めてエスカレ−トしていく傾向があるためです。むしろ、テサロニケ教会において実を豊かに結ぶことができた伝道方策は、聖書から静かに「論じ、説明し、論証する」、静かな聖書中心の伝道でした。そしてこれこそ教会のあるべき姿といえるのではないでしょうか。

テサロニケでもユダヤ人からの迫害のためパウロたちは次の街へ旅立たなければなりませんでした。しかし、御言葉を土台にしたテサロニケ教会は着実に成長し、マケドニア州の諸教会の模範ともなったのでした。「あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちと主とにならう者になりました。こうして、あなたがたは、マケドニヤとアカヤとのすべての信者の模範になったのです」(1テサロニケ16-7) 

2. 福音を聴く側から

て今度は、福音の語り手側ではなく、聴き手側に着目してみましょう。テサロニケから旅たったパウロとシラスは数十キロ南西にあるベレヤに向かい、ベレヤの町の人々に同じように伝道しました。すると、ベレヤの人々は、「熱心に耳を傾け」はたしてパウロの言ってることが正しいか否か「毎日、聖書を調べた」(1711)のでした。

「毎日聖書を調べた」、この8文字は、私には衝撃的なことばでした。若い日、私は「聖書のことばというものは牧師からメッセ-ジを聴いて受けとめるもの」と思っていました。ですから聖書は毎週日曜日に教会に持ってくるもの、読むもの、聞くものと思っていましたから自分で「調べるもの」とは全く思っていませんでした。考えてみれば、一方的に聞くだけの学びや言われたことを鵜呑みにしてしまう学びには危険性が伴います。極端な場合「洗脳」になります。真に価値あるものは押し付けられるものではなく、自らが見い出し、発見するものではないでしょうか。

ベレアにおいてもパウロはテサロニケと同様「論じ、説明し、論証する」という聖書中心の伝道を進めたことでしょう。そしてパウロの語ることばを聴き、べレヤの人々は毎日、直接自分たちで聖書を調べたのでした。鵜呑みにすることなく、無視することもなく、彼らはひたすら「聖書を調べ」ました。ベレヤ教会の兄弟たちの最大の特徴は、「毎日、聖書を調べた」という積極的で自発的な姿勢にありました。

私が尊敬する牧師が牧会する教会員の合言葉は「聖書を調べよう」でした。信徒たちにそのように言わしめることができたのは、牧師自身が聖書から「論じ、説明し、結論づける」という聖書中心主義に立った説教や講義を大切に貫いてこられたからだと思います。

「毎日、聖書を調べる」、こうした聖書に真摯に向き合う態度は、「毎日、聖書を開いてデボ−ションタイムを持つ」生活や、「1日1章と決めて、毎日通読に励む」良い慣習の維持や、教会で開かれる聖書研究会に出席して学ぶことにも通じます。

主イエス様は現代におけるべレヤ教会をと信徒を探しておられるのではないでしょうか。

ある男性信徒さんは、会社を退職したとき、「へブル語を独学で学習し、旧約聖書をへブル語で読みたい」との大きな志があたえられました。彼はコツコツと学びを重ね、今ではへブル語で新聞が読めるまでに上達しました。旧約聖書を読むときには一層奥深さが増し加わっていることでしょう。すばらしいことですね。

「聖書を開き、聖書を調べ、聖書に聴き、聖書に従う」というスピリットを、今朝、私たちはべレヤ教会から学ばせていただきました。具体的な生活の中で、あなたはどのようにみことばと向き合い、どのようにみことばに聴き、どのようにみことばを学ぶことを志しておられますか。

みことばに聴き従うことを願う私たちの歩みが祝福されますように。

                                     あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。」(詩篇119:105)

                                                                            以上



   

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