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前牧師からのごあいさつ
2002年 春
ある日本人宣教師が、インドネシアのお金持ちの邸宅を訪問したとき、豪華な応接間に、こんな言葉が額に入っていたそうです。英語で「お金で何が買えるか」と大きな文字が書いてあり、その下に、左側にはお金で買える物、右側にはお金で買えないものが、並んで記されていたそうです。
お金で何が買えるか。
「ベッド」しかし「眠り」は買えない。
「食べ物」しかし「食欲」は買えない。
「飾り」しかし「美しさ」は買えない。
「家」しかし「家庭」は買えない。
「薬」しかし「健康」は買えない。
「楽しみ」しかし「幸福」は買えない。
「セックス」しかし「愛」は買えない。
お金で買えないもの、すなわち「やすらかな眠り」「健康な食欲」「美しさ」「温かい家庭」「健康」「幸福」「愛」これらのものは、みんなだれもが求めているのではないのでしょうか。
しかし、現実はどうでしょうか。だれもが「温かい家庭」や「温かい人間関係」を望んでいるのに、「そういう家庭や人間関係を作ろう!」という希望よりも「はたしてそういう家庭や関係が作れるだろうか?現実に、そんなものがあるだろうか?」という不安や疑問がわいてきます。いや、これとは正反対の姿が、現実の多くの家庭や人間関係ではないでしょうか。そうです。だれもが、「温かい家庭」や「温かい人間関係」を望みながら、それが実現していないのです。
人の心の中には思ったよりも根深い「醜いもの」が、ひそんでいるからです。それが聖書でいう「罪」なのです。イエス・キリストのことば「人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」わたしたちは、聖人でも偉人でもありません。内に「醜いもの」を持ちながら、「温かい家庭」や「温かい人間関係」は作れません。
いいえ、真実の自分や現実を直視することは、希望への第一歩です。真実の自分を直視することは、神の恵みを知るために必要なことであり、「温かい家庭」や「温かい人間関係」への第一歩です。イエス・キリストは、私たちの心を変え、生活を変え、人生を変えてくださるのです。
聖書にこうあります。「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪をゆるし、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(Iヨハネ1:9)。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎさって、すべてが新しくなりました」(IIコリント5:17)。罪がゆるされ、新しく造られた者となる!イエス・キリストは十字架の死によって、罪をあがない、あなたのために新しい今日、新しい明日を備えてくださるのです。
イエス・キリストのことば「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」
イエス・キリストが、あなたを招いておられます。
私たちは、聖書を神のことばと信じ、その福音(よきおとずれ)を世界に伝える正統的なプロテスタントのキリスト教会です。初めての方、興味ある方...どなたでもご自由においでください。あなたを心からお待ちしております。
牧師 小森 文雄
2002/3〜2011/3
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