愛の実践を伴う信仰こそ大切
1.良い行ないをしたら救われるのではない
ガラテヤ教会の人々は、「律法を行わないと救われない」という
誤った信仰に陥っていました。「ただ神の恵みによって救われる」という、
大事な真理から、外れていたのです。
そのような、一生懸命「律法の行いによって救われよう」としていた
ガラテヤの教会の人々に対して、パウロは「大切な事は律法の行いではなく
愛の実践を伴う信仰なんだ」と、語っているのです。
2.イエス・キリストの十字架の血で赦されたと信じるだけでよい
ただただ神の一方的な恵みによって、イエス・キリストの十字架のあがないを
信じるだけで罪が赦されて、義とされて、永遠の命が与えられていることを
素直に受け入れて信じるだけでいいんだ、というのです。
立派な行いによって救われるのではないんだ、と説明しているのです。
どんなに立派な行いができたとしても、一つでも罪を犯してしまったら
すべては崩れ去るのです。
たとえ今まで、多くの人の人命救助をして表彰されていたとしても、
一回でも、飲酒運転で死亡事故を起こしてしまったとしたら、
それまでの良い行いは、無に帰してしまうのです。
多くの人の人命救助をしていたとしても、それらは罪の赦しと無関係なのです。
飲酒運転の死亡事故の償いをしなければなりません。
それと同じように、立派な行いによって救われるのではないのです。
3.信仰は真実でなければならない
ただ私たちは、信じるだけで救われるのです。
ただし、その信仰は真実でなければなりません。
結婚と同じで、結婚して妻(夫)になったら、他の異性とは関係をもちません。
真実に夫(妻)だけを愛します。不倫はしないのです。
もし夫以外の男性(妻以外の女性)との接触を続けるなら、結婚関係は破綻します。
信仰もそれと同じで、真実にイエス・キリストを信じて仕えるのです。
イエスの教えを無視して、人を憎み暴力をふるい姦淫をし平気でうそをつく
そんな行動は、捨て去ります。信仰は、行動に現れてくるのです。
良い行動によって救われようとするのではなく、信じたから良い行動が出てくるのです。
神に愛されていることをそのまま信じたら、当然それは行ないに現れてきます。
神を愛し隣人を愛する行動が、信仰の結果現れるのです。
そのような真実な信仰こそが、私たちに求められているのです。
むすび.愛の実践を伴う信仰を持とう
イエス・キリストによって全ての罪が赦されたことを、真剣に信じて
神によって一方的に限りなく愛され、信じるだけでゆるされていることを
その通り信じる信仰を持って行きましょう!
その信仰には、愛の実践が必ず伴ってくるのです。
【今日の聖書】
キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、
愛の実践を伴う信仰こそ大切です。
ガラテヤの信徒への手紙 5章6節