かつては神を知らずに生きていた
1.ガラテヤの教会は異邦人の教会だった
パウロの時代、ガラテヤに教会ができていきますが
教会のメンバーたちは、ユダヤ人ではなくほとんど異邦人だったようです。
ところで、あなたがたはかつて、神を知らずに、
もともと神でない神々に奴隷として仕えていました。
ガラテヤの信徒への手紙 4章8節
2.ガラテヤの信徒たちは元々聖書も神も知らずに生きていた
ですから元々聖書も知らず、聖書の神も知らず
異教の神々に仕えていた所から、イエス・キリストを信じ受け入れて
救われていたのです。
その点がユダヤ人で救われていた人たちとの、大きな違いでした。
ユダヤ人として生まれると、幼少の時期から聖書の神について教えられ
聖書の内容も、ある程度は常識的に理解していたわけです。
しかし異邦人は、まったく聖書の神を知らず教えられもせずに
逆に、異教の神々の教えを伝統的に教えられながら大人になっていたので、
神に対する知識も、歴史上の信仰者に対する知識も持ち合わせていなかったのです。
3.異邦人はユダヤ人より神から遠く離れていた
ユダヤ人は、神を信じ聖書に預言されていた救い主(メシア)を
待ち望んで、生きていました。それに対して異邦人は、
神に背を向け、救い主の預言など知らずに生きていました。
この点から見ると、異邦人はユダヤ人よりも
神からも救いからも、遠いように感じられます。
けれどもパウロの伝道旅行によって、それが逆転しているのです。
神に近かったはずのユダヤ人が、イエスを拒否し
神から遠かったはずの異邦人が、イエスをどんどん受け入れて
信じていっているのです。ガラテヤの教会も、まさにそういう教会だったのです。
むすび.神から遠く離れているからと言って救われないのではなかった
ユダヤ人と異邦人を比べると、神を知っているということにおいては
確実にユダヤ人に分があります。ユダヤ人の方が優位にあるのです。
しかしだからと言って、イエス・キリストを信じることにおいては
特にユダヤ人に、分があったわけではありません。
逆に、異邦人が素直に順調に信じていっていたのです。
「かつては神を知らずに生きていた」ということを、ひけめに思うことも
ユダヤ人に対して、劣等意識を持つ必要もなかったのです。
イエス・キリストを信じる、ということにおいては
ユダヤ人も異邦人もまったく同じで、平等なのです。ただ信じればよいだけなのです。
【今日の聖書】
ところで、あなたがたはかつて、神を知らずに、
もともと神でない神々に奴隷として仕えていました。
ガラテヤの信徒への手紙 4章8節