心の中で
1.行動に移さなくても悪事を考えただけで罪
心の中で悪い事を考えても、実行に移さなければ犯罪にはなりません。
殺人も姦淫も盗みも嘘も、心の中で考えただけでは警察に逮捕はされません。
それを実行に移してしまった時はじめて、逮捕されるのです。
しかし神の前には、実行に移そうが移さまいが同じ罪になります。
心の中で殺意を抱いた瞬間、それは殺人と同じ罪となってしまうのです。
心の中で姦淫の思いを抱いただけで、姦通したのと同じになってしまいます。
2.社会では行動に出したかどうかで裁かれる
考えたことがすぐに行動に出てしまう人は、逮捕されることが多くなります。
考えたことを行動に移さないようにしている人は、逮捕されません。
同じことを考えているのに、行動に出てしまう人は逮捕され
考えだけでとどめておく人は、逮捕されません。
しかし神の前には、どちらもまったく同じ罪になります。
考えた瞬間罪になってしまうのです。
3.悪い事をしないから罪人ではないのではない
子供の頃から、悪い事をしないようにしつけられ育てられますが
悪い事を考えないようにとは、言われません。
考えていることは、人にはわからないからです。
その結果何が起こるかと言うと、誤解が生じるのです。
同じ悪事を考えているのに、それが行動に出てしまう人は「ひどい罪人」
行動には決して出さない人は、「立派な良い人」と誤解されてしまうのです。
同じ悪事を考えている段階で、まったく同じ罪人なのです。
むすび.心の中で悪を一切考えないような義人はいない
表面的にどんなに立派に見えても、その人が心の底から立派なわけではありません。
表面に、心の中の悪が見えてないだけなのです。
幼児の時はそれが明確に見えるのですが、成長するにつれ隠すすべを身につけます。
本当は悪を考えているにもかかわらず、それを悟られないように振舞うのです。
本当はひどいことを考えているのに、善人の振りをしてしまうのです。
イエスの時代にそれをしていたのが、ファリサイ派の人々や律法学者たちです。
「彼は立派な人だ」と、人から見られたがっていたのです。
だから、本当の悪に染まった自分を隠して善人の振りをしていたのです。
それを偽善と言います。実際は悪いのに、良い人の振りをするのが偽善です。
それをイエスは、見事に指摘しています。
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。
白く塗った墓に似ているからだ。
外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。
このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、
内側は偽善と不法で満ちている。
マタイによる福音書 23章27〜28節
大事なことは、心の中の悪を神の前にさらけ出して悔い改める事です。
イエスの十字架の血で、すべて赦されます。
そしてできる限り、悪を考えないようにして生きていけるよう祈り求めるのです。
【今日の聖書】
しかし、わたしは言っておく。
みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、
既に心の中でその女を犯したのである。
マタイによる福音書 5章28節