今日のできごと


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2024/9/24(火)

 

パウロの抱いていた危機感

1.ガラテヤの教会の教えの逸脱

 パウロはガラテヤ地方の教会に対して、大きな危機感を抱いていました。

 キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、
 ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。
 ガラテヤの信徒への手紙 1章6節

 イエス・キリストの血潮による救いを、信仰によって受け入れて救われたはずなのに
 その救いを信じた時から、それ程経ってもいないのに横道に逸れていたからです。
 パウロはその姿を、「ほかの福音に乗り換えようとしている」と表現しています。

 その教えの誤りというのは、信仰ではなく律法によって救われようとすることでした。
 何もしなくても、ただ恵みによって救われるにもかかわらず
 「救われるために、一生懸命善い行いをしなければならない」と考えていたことでした。

 律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、
 キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います。
 ガラテヤの信徒への手紙 5章4節

2.危機感が手紙執筆の動機となった

 ガラテヤの信徒への手紙は、このようなパウロの危機感を動機として
 記された手紙です。そこにパウロが不在でしたから、手紙によって
 彼らの間違いを正しく指摘し、信仰による救いを正しく説いているのです。

 わたしたちが前にも言っておいたように、今また、わたしは繰り返して言います。
 あなたがたが受けたものに反する福音を告げ知らせる者がいれば、呪われるがよい。
 ガラテヤの信徒への手紙 1章9節

 教会の中に入り込んでしまったこのような律法主義は、
 イエス・キリストの十字架による救いを
 無にしてしまうものだったのです。

3.今日の教会も同じ危険性をはらんでいる

 教会を教会足らしめなくするのは、簡単です。
 イエス・キリストの教えを、曲げてしまえばよいのです。
 ガラテヤの教会は、早くも教えを曲げてしまっていました。

 今日の教会も、同じ危険性をはらんでいます。
 「イエス・キリストを信じると、罪が赦されて救われる」というのが
 信仰の根幹ですが、これを揺るがすような教えが入り込みやすいのです。

 とかく私たちは、神の視点ではなく人間的な視点で考えやすいのです。
 「あの人は立派で、あの人はだめな人だ」と評価しやすく
 すべての人が同じ罪人であるという視点が、崩れてしまいやすいのです。

 そして「私はあの人よりかは正しい人間だ」と、考えやすいのです。
 そうなってくると、自分の罪を相対的に見始めることになって
 自分は自分の力で正しく生きられるのだ、という間違いに陥っていくのです。

むすび.キリストの教えからの逸脱に気を付けよう

 ガラテヤの教会が犯してしまった間違いを、私たちは犯さないように
 よくよく気を付けている必要があります。
 自分の罪に目を閉じてしまって、何か自分が正しい人間であるように思ったり

 「自分は生まれながら、正しく行動することができる」などと思い込まないように、
 いつも、「罪人の私をお救い下さい」という
 へりくだった態度を持ち続けていたいと願います。

 【今日の聖書】
 ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではなく、
 ある人々があなたがたを惑わし、キリストの福音を
 覆そうとしているにすぎないのです。
 ガラテヤの信徒への手紙 1章7節


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