今日のできごと


 前日  翌日  今月  去年の今頃  トップへ  更新
2024/9/10(火)

 

美しい門のそばの男性のように

1.「美しい門」のそばで足の不自由な男性が物乞いをしていた

 使徒の時代、「美しい門」という神殿の門のそばに
 毎日足の不自由な40歳過ぎの男性が、運ばれて置かれていました。

 すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。
 神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日
 「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。
 使徒言行録 3章2節

 毎日物乞いとして衆人の目に晒され、恵んでもらわなければなりませんでした。
 恥ずかしかったことでしょう。プライドも何もありません。
 自分は皆の中で、一番低い存在のように感じていた事でしょう。

2.足の不自由だった人と健康な人との違いは何だったか?

2.1 足の不自由だった人の状況

 @他人から恵んでもらわないと、生きていけない
 A他人に助けてもらわなければ、何もできない
 B他人がいてくれなければ、自分のことさえ自分ではできない

2.2 健康な人たちの状況

 @他人から恵んでもらわなくても、自分で働いて生きていける
 A他人に助けてもらわなくても、何でもしたいことができる
 B他人がいなくても、自分のことは自分でできる

2.3 神のみ前に求められている姿勢

 @神に恵んでもらわないと、生きていけない
 A神に助けてもらわなければ、何もできない
 B神がいなければ、自分では何もできない

3.足が不自由だったからこそ神の求める姿に近かった

 どちらが、神の求められている姿に近かったでしょうか?
 足が不自由だった人の方が、神の求められる姿勢に近かったのです。
 足が不自由だった人には、次のような姿勢があったのです。

 @「恵んで下さい」という、謙遜さ
 A助けてくれる人に「素直に従う」という、従順さ
 B「物乞い」という、相手に求める思い

むすび.私達も美しい門の男性のように謙遜な姿勢を持とう

 私たちもこの姿勢を、神に対して持って行くのです。
 神に頼らなければ、自分にはできないという謙遜な姿勢が大切です。
 次のような思いは一切捨てて、生きていくのです。

 @神に恵んでもらわなくても、生きていける
 A神に助けてもらわなくても、何でもしたいことができる
 B神がいなくても、自分のことは自分でできる

 【今日の聖書】
 同じように、若い人たち、長老に従いなさい。
 皆互いに謙遜を身に着けなさい。
 なぜなら、
 「神は、高慢な者を敵とし、
  謙遜な者には恵みをお与えになる」からです。
 だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。
 そうすれば、かの時には高めていただけます。
 ペトロの手紙一 5章5〜6節


 前日  翌日  今月  去年の今頃  トップへ  更新