美しい門のそばの男性のように
1.「美しい門」のそばで足の不自由な男性が物乞いをしていた
使徒の時代、「美しい門」という神殿の門のそばに
毎日足の不自由な40歳過ぎの男性が、運ばれて置かれていました。
すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。
神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日
「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。
使徒言行録 3章2節
毎日物乞いとして衆人の目に晒され、恵んでもらわなければなりませんでした。
恥ずかしかったことでしょう。プライドも何もありません。
自分は皆の中で、一番低い存在のように感じていた事でしょう。
2.足の不自由だった人と健康な人との違いは何だったか?
2.1 足の不自由だった人の状況
@他人から恵んでもらわないと、生きていけない
A他人に助けてもらわなければ、何もできない
B他人がいてくれなければ、自分のことさえ自分ではできない
2.2 健康な人たちの状況
@他人から恵んでもらわなくても、自分で働いて生きていける
A他人に助けてもらわなくても、何でもしたいことができる
B他人がいなくても、自分のことは自分でできる
2.3 神のみ前に求められている姿勢
@神に恵んでもらわないと、生きていけない
A神に助けてもらわなければ、何もできない
B神がいなければ、自分では何もできない
3.足が不自由だったからこそ神の求める姿に近かった
どちらが、神の求められている姿に近かったでしょうか?
足が不自由だった人の方が、神の求められる姿勢に近かったのです。
足が不自由だった人には、次のような姿勢があったのです。
@「恵んで下さい」という、謙遜さ
A助けてくれる人に「素直に従う」という、従順さ
B「物乞い」という、相手に求める思い
むすび.私達も美しい門の男性のように謙遜な姿勢を持とう
私たちもこの姿勢を、神に対して持って行くのです。
神に頼らなければ、自分にはできないという謙遜な姿勢が大切です。
次のような思いは一切捨てて、生きていくのです。
@神に恵んでもらわなくても、生きていける
A神に助けてもらわなくても、何でもしたいことができる
B神がいなくても、自分のことは自分でできる
【今日の聖書】
同じように、若い人たち、長老に従いなさい。
皆互いに謙遜を身に着けなさい。
なぜなら、
「神は、高慢な者を敵とし、
謙遜な者には恵みをお与えになる」からです。
だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。
そうすれば、かの時には高めていただけます。
ペトロの手紙一 5章5〜6節