今日のできごと


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2024/9/9(月)

 

パウロの救いのタイミング

1.パウロがもっと早く救われていたら良かったのに...

 パウロはダマスコへ行く途中で、イエスの声を聞いて救われました。
 それまでのパウロは、熱心な迫害者でした。
 ステファノの殉教時も、それ以降もイエスを信じる人々を苦しめていたのです。

 「パウロがもっと早くイエスに出会っていたら良かったのに」と、思わないでしょうか?
 パウロの救いがステファノの殉教前だったら、彼は殉教しなかったのではないでしょうか?
 ステファノが石打ちされそうになった時、パウロはみんなをとめたのではないでしょうか?

 そして、ステファノがさらに継続して力強く働けたのではないでしょうか?
 そして、パウロによる教会の迫害も起こらず教会への迫害は激しくならず
 教会はさらに、エルサレムで大きくなっていったのではないでしょうか?

 こう思ってしまうかもしれません。

2.神のタイミングは違った

 しかし、神のタイミングはそうではなかったのです。
 「パウロがダマスコへ行く途中でイエスに出会う」これが神の定めたタイミングでした。
 そのタイミングこそが、ベストタイミングだったのです。

 神の思いは、私たち人間の思いより遥かに上を行っているのです。
 神の視野は、時間的にも空間的にも限りなく広いのです。
 神の定められたタイミングこそが、ベストタイミングなのです。

3.もっと早くパウロが救われていたら宣教がそれほど進まなかった

 もしパウロがステファノ殉教前に救われて、ステファノと一緒になって
 「イエスこそが神の遣わされた救い主だ」と熱心に語っていたら、どうだったでしょうか?
 パウロもそこで、若くして殉教していた可能性があります。

 もし、教会を激しく迫害する前にイエスと出会っていたらどうだったでしょうか?
 教会は迫害されず、イエスを信じる人々は散らされることもなく
 散らされて行った人々による伝道もなく、多くの人々が救われていなかったのです。

 迫害によってエルサレム教会から逃げたフィリポが、サマリアに行くこともなく
 サマリア人の多くが、救われていなかったのです。
 そう考えると、一見パウロの救いの時期は遅かったようにも見えますが

 そうではなかったことが、わかります。
 ベストタイミングだったのです。

むすび.パウロの救いはベストタイミングだった

 パウロの救いのタイミングは、ダマスコ途上です。
 それこそが、神の定めたベストのタイミングでした。
 ちょうどそこで、イエスが直接パウロに語りかけておられるのです。

 ステファノの殉教や、救われる以前のパウロの行なった教会への大きな迫害も
 悲しむべき出来事に見えますが、神はそれらのできごとを用いて
 さらに多くの人々が救われるように、導いておられたのです。

 神のなさることは、すべて時にかなって美しいのです。

 神のなされることは皆その時にかなって美しい。
 神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。
 それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。
 コヘレトの言葉 3章11節

 【今日の聖書】
 ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、
 突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。
 彼は地に倒れたが、その時
 「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。
 使徒言行録 9章3〜4節


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