今日のできごと


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2024/7/17(水)

 

サウルの死を悼んで泣いたダビデ

1.ダビデはサウルの死を喜ばなかった

 ダビデの命を狙っていたサウルは、ペリシテ人との戦いで死んでしまいました。
 確かにその死の背後には、主の裁きがありサウルの罪が原因となってはいるのですが
 ダビデはその死を、決して喜んではいないのです。

 ダビデは自分の衣をつかんで引き裂いた。
 共にいた者は皆それに倣った。
 彼らは、剣に倒れたサウルとその子ヨナタン、
 そして主の民とイスラエルの家を悼んで泣き、夕暮れまで断食した。
 サムエル記下 1章11〜12節

2.ダビデはサウルの死を悲しみ泣き断食した

 自分の命を狙い続けていた者が死んだのですから、そこに安堵があって当然ですが
 ダビデの中には、安堵よりもはるかに大きな悲しみがあったのです。
 サウルの死を聞いたダビデは、自分の衣をつかんで引き裂きます。

 ダビデと共にいた者たちも、皆それに倣います。
 そして彼らは、剣に倒れたサウルとその子ヨナタン、
 そして主の民とイスラエルの家を悼んで泣き、夕暮れまで断食するのです。

3.ダビデにはサウルに対する復讐心も憎しみもなかった

 自分の命を狙っていたサウルのために、その死を悼み泣いて断食しているのです。
 そこに憎しみがないのです。「彼の自業自得だ」という裁きの声もありません。
 ただただ悼み悲しんで、泣いているのです。

 どんなに自分の命を狙って、執拗に追いかけまわし
 自分をひどい目に会わせてきた相手であっても、彼に対する復讐心がないのです。
 「それ見た事か、私の言った通りのことが起きただろう」では、なかったのです。

 ここに、神をおそれ隣人を愛するダビデの模範的姿を見ることができるのです。

むすび.ダビデは自分の命をつけ狙っていたサウルを決して憎まなかった

 命を狙ってくる相手を、普通ならば憎しみ拒むでしょう。
 しかし、ダビデはそうではありませんでした。
 神が戦によってサウルの命を取られましたが、ダビデは決して喜んではいません。

 逆に悲しみ泣いています。
 もう命を狙われることがなくなって、逃げる必要がなくなったのですが
 そんなことよりもむしろ、サウルが死んでしまったことを悲しむ悼むのです。

 「それ見た事か、私の命を狙うからこういうことになるんだ」と言いたくなる状況ですが
 そういう言葉は、神が喜ばれないのです。

 敵が倒れても喜んではならない。
 彼がつまずいても心を躍らせるな。
 箴言 24章17節

 私たちも、このことをしっかり心にとめておきましょう。

 【今日の聖書】
 ダビデは自分の衣をつかんで引き裂いた。
 共にいた者は皆それに倣った。
 彼らは、剣に倒れたサウルとその子ヨナタン、
 そして主の民とイスラエルの家を悼んで泣き、夕暮れまで断食した。
 サムエル記下 1章11〜12節


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