サウルはペリシテ軍によって倒された
1.サウルは敵の手によって死んでしまった
サウル王は、何の罪も犯していなかったダビデの命を
執拗に狙ってダビデを追いかけまわしていましたが、ついに
ペリシテ軍に攻められて、ギルボア山で命を落とします。
ダビデがサウルを打つまでもなく、主がペリシテ軍を用いて
サウルを打たれたのです。
権力に任せてダビデを虐げていたサウルは、主に打たれて死んだのです。
2.主がサウルを裁かれた
我が物顔で、自分に与えられていた権力をかさに着て
何の罪もない部下に嫉妬した挙句、その命を取ろうとしていたサウルを
主が、そのままにしておかれるはずがなかったのです。
最後に主は、きちんと正しく裁かれたのです。
王として国を治める責任ある立場で、人々の上に立ち
権威と富も与えられ、一見大きく活躍しているように見えますが
主の目には、そうは映っていなかったのです。
悔い改めを待っておられたのですが、サウルは悔い改めることなく
最終的に、主に打たれて死んでしまったのです。
3.ダビデの言った通りになった
ダビデはサウル王に対しては、何の危害も加えませんでした。
自分の命を狙って追ってくるサウル王を、主に油注がれた方として認識し
主が油注がれた方には、手を触れない姿勢を貫き通しました。
そしてサウルの罪は、主が裁いて下さると確信し
「主がサウルを打たれるだろう。
時が来て死ぬか、戦に出て殺されるかだ。」と語るのです。
更に言った。
「主は生きておられる。
主がサウルを打たれるだろう。
時が来て死ぬか、戦に出て殺されるかだ。
サムエル記上 26章10節
むすび.必ず最後には主の裁きが起こる
結局ダビデの言った通り、サウルは主によって打たれることになりました。
私たちも、権力を持つ人々から苦しめられることがあるかもしれません。
しかも不当な苦しみです。しかし、それをすべて主がご覧になっているのです。
必ず最後には、主の裁きが起こります。
私たちが何か、大きな声をあげたり
どこかに訴えたりせずとも、主が裁いて下さるのです。
神を信じ信頼するというのは、そういうことです。
いかなる誹謗中傷を受けたとしても、最後には事実が明らかにされます。
ダビデのように最後まで、主を信頼し続けて行く必要があります。
【今日の聖書】
ペリシテ軍はイスラエルと戦い、
イスラエル兵はペリシテ軍の前から逃げ去り、
傷ついた兵士たちがギルボア山上で倒れた。
ペリシテ軍はサウルとその息子たちに迫り、
サウルの息子ヨナタン、アビナダブ、マルキ・シュアを討った。
サウルに対する攻撃も激しくなり、射手たちがサウルを見つけ、
サウルは彼らによって深手を負った。
サウルは彼の武器を持つ従卒に命じた。
「お前の剣を抜き、わたしを刺し殺してくれ。
あの無割礼の者どもに襲われて刺し殺され、なぶりものにされたくない。」
だが、従卒は非常に恐れ、そうすることができなかったので、
サウルは剣を取り、その上に倒れ伏した。
サムエル記上 31章1〜4節