祈る前から神は知っておられる
1.私が祈るまで神は何も知らないというのではない
自分が体験したことを人に話す時は、相手が何も知らないという前提で話します。
しかし神に祈る時は違います。祈る前から、神はすべてをご存知なのです。
すべてを知っておられる神に向かって、私たちは語るのです。
「神様!今私はこんな状態です。どうか助けて下さい」と祈るとき、
その私の大変な状態を、神は詳細に知っておられるのです。ですから
「神様!神様もすべてご存知のように、今私はこんな状態です。」と祈ります。
いやむしろ「神様の方が、私よりもずっとよく知っておられると思いますが、」
と祈る方が、より正確でしょう。
神は私たちよりも、私たちのことをずっとよくご存知なお方なのです。
2.神が私のすべてを知っておられるという前提で祈る
私たちは、「神が私のことを何も知らない」かのように祈るのではなく
「神が私のすべてをつぶさに知っておられ、私を限りない愛で愛してくださり
見守っていて下さっている」という前提で祈ります。
神は「大丈夫だ、私が見ている」「私があなたを守っている」「私が支える」
「しっかりしなさい」と、私達に語って下さるのです。
エルサレムで捕らえられたパウロに対して神は、「勇気を出せ」と語られています。
その夜、主はパウロのそばに立って言われた。
「勇気を出せ。
エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、
ローマでも証しをしなければならない。」
使徒言行録 23章11節
神はパウロといつも共にいて、パウロの行動を見守り助け導いておられたのです。
パウロのすべての状況と行動は、神に知られており
その都度その都度、神がパウロにその状況に応じて御言葉を語られていたのです。
私たちも同じです。私たちの状況と行動を、すべて神が見て知っておられるのです。
今私がこのような状態に陥っていることを、「あえて神がゆるされ」そしてその中で
「神が今見守っていて下さっている」とするならば、私たちはどう祈るでしょうか?
3.ダビデの祈りはまさに神がすべてを知っておられるという祈り
3.1 「神よ、あなたは私のすべてを知っておられます」
ダビデはこのように祈っています。
主よ、あなたはわたしを究め
わたしを知っておられる。
座るのも立つのも知り
遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
歩くのも伏すのも見分け
わたしの道にことごとく通じておられる。
わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに
主よ、あなたはすべてを知っておられる。
詩編 139編1〜4節
ダビデは、神が私のすべてを知っておられると告白して祈っています。
3.2 「わたしの心を知ってください」
その上で、次のように祈りを締めくくるのです。
神よ、わたしを究め
わたしの心を知ってください。
わたしを試し、悩みを知ってください。
御覧ください
わたしの内に迷いの道があるかどうかを。
どうか、わたしを
とこしえの道に導いてください。
詩編 139編23〜24節
「わたしの心を知ってください。」
「わたしを試し、悩みを知ってください。」
「わたしの内に迷いの道があるかどうかを御覧ください。」
このように、ダビデは祈っています。
全てをご存知の神に向かい、「私を知って下さい」と願っています。
そして、「私のうちに迷い
1の道があるかどうか見てほしい」と祈っています。
※1「迷い」:悲しみ,傷,痛み,偶像という意味合いの言葉
3.3 「御覧ください、わたしの内に迷いの道があるかどうかを」
この祈りは、「もし私のうちに間違いがあるのなら、私に示して下さい」という祈りです。
「もし私のうちに間違いがあるのなら、そこから離れますので示して下さい」
という願いが、その祈りに込められています。
最後に「どうか、わたしをとこしえの道に導いてください。」と祈りを締めくくります。
とこしえの道こそ、神のおられる永遠の御国である天国への道です。
ダビデの最終目的地は、神のおられる天国でした。
ダビデの目は、神のおられる天に向けられていたのです。
自分の劣悪な状況に視点を置かず、すべてを見ておられ知っておられる
神に、焦点を合わせていたのです。
むすび.祈る前からすべてを知っておられる神の御心がなるように祈る
祈る前から、私のすべてを神が知っておられるとするなら
神に向かって、「自分の状態を事細かく説明して、助けを求める」という祈りではなく
「全てをご存知の神の御心が、私に対してなされますように」と祈るのです。
神の御心は、「あなたをさらに良くしてあげよう」というものです。
「あなたの罪に気付かせよう、あなたを罪から離れさせよう」と
神は導いておられるのです。
人生を終えて天の御国に入る時に、後悔のないように
今この時、私に最善ができるように私を導いて下さるのです。
苦しい状況は、逆に神様の最善がなされている時でもあるのです。
困難な状況下で苦しむ時、神は私のすべての苦しみをご存知なのです。
そしてその状況下で、私にとっての最善をなして下さっているのです。
私たちは、困難な状況からの回復を求める以上に、神の御心がなる事を求めて祈るのです。
【今日の聖書】
彼らのまねをしてはならない。
あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。
マタイによる福音書 6章8節