力は外から付加された
ペンテコステの日に、聖霊が降り
使徒たちは、いろいろの他国の言葉で語り始めました。
そんな言葉を話したことも、学んだこともなかったにもかかわらず
流暢に、その国の人と同じくらい上手に語ったのです。
人々はそれで驚いたのです。
ここでわかることは、そのような言葉を語る力が外から付加されたということです。
元々、使徒たちが持っていなかったにもかかわらず
それが外から与えられて、できるようにされていたのです。
ここに希望があるのです。
使徒たちが素晴らしかったわけでなく、素晴らしかったのは聖霊なのです。
使徒たちに力があったのではなく、力があったのは聖霊なのです。
使徒たちにはじめから知恵があったのではなく、知恵があったのは聖霊なのです。
とするならば、何も持っていなくても大丈夫なことがわかります。
泉に水を汲みに行く時、必要なのは空っぽの器です。
空っぽで、良いのです。逆に、空でなければならないのです。
私たちも自分自身の力のなさや、知恵のなさを嘆かなくてよいのです。
聖霊によって与えられるからです。
聖霊を求めればよいのです。
イエスは約束されています。
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、
自分の子供には良い物を与えることを知っている。
まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」
ルカによる福音書 11章13節
天の父は、求めるものに聖霊を与えて下さるのです。
【今日の聖書】
五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、
突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、
彼らが座っていた家中に響いた。
そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、
一人一人の上にとどまった。
すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、
ほかの国々の言葉で話しだした。
使徒言行録 2章1〜4節