生きる望みさえ失ったパウロ
1.パウロは、圧迫されて生きる望みさえ失った
パウロたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、
生きる望みさえ失ってしまう、という状況に追い込まれています。
その状況下で彼は、「死の宣告を受けた思いだった」というのです。
その結果、パウロはどうなったでしょうか?
絶望の果てに、倒れ伏してしまったでしょうか?
宣教をやめてしまったでしょうか?
2.苦難の中で神への信頼を高めている
違うのです。その逆に、神への信頼が高まるのです。
「自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる
神を頼りにするようになりました。」と、パウロは告白しています。
自分の知恵や力により頼むことを捨てて、全面的に神に信頼を置くようになっているのです。
それまでも彼らは、神に信頼して歩んできていたはずですが
今まで以上に、より徹底的に神に信頼するように変えられているのです。
3.希望を失う経験が希望を生み出した
「神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださった」
というパウロの証しは、こう続くのです。
「これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。」
生きる望みをさえ失うという苦難を、神が乗り越えさせて下さったというその体験が
「現在の苦難や将来の苦難からも、神が必ず救ってくださるのだ!」という
神への絶対的信頼と、将来への確かな希望を生み出しているのです。
「生きる望みさえ失ってしまう」という、希望を失う体験が
何と希望を生み出す結果になっているのです。
むすび.苦難や困難や絶望的状況こそが信仰を強化させる
苦難や困難や絶望的状況は、ともすれば嘆きと悲観につながりがちです。
しかしパウロたちの場合は、そうではなかったのです。
その状況下で、彼らの信仰はますます強められているのです。
私たちも同じです。困難な状況、もうダメだという状況こそが
私たちの信仰を、強める機会となるのです。
悲観してはなりません。いよいよ主に信頼してゆくのです。
その時に必ず、主がその状況から助け出して下さると私は信じます。
悲観と嘆きを捨てましょう。神への信頼を選ぶのです。
愛の神が、苦しむ私たちを助けて下さらないはずがないのです。
【今日の聖書】
兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、
ぜひ知っていてほしい。
わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、
生きる望みさえ失ってしまいました。
わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。
それで、自分を頼りにすることなく、
死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。
神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、
また救ってくださることでしょう。
これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。
コリントの信徒への手紙二 1章8〜10節