イスカリオテのユダに見られる人間の罪
イスカリオテのユダは、人間がもっている罪を如実に表しています。
イスカリオテのユダが特別罪深かったのではなく、すべての人が同じように罪人なのです。
ただユダは、その罪を捨てようとせずに実行に移してしまっただけなのです。
@自己中心(恩を仇で返す):散々世話になったはずの恩師をお金で売ってしまう
本来イエスに感謝こそするべきなのに、感謝のかけらもない
恩師イエスを愛するのではなく、いとも簡単に捨て去っている
自分さえよければそれでよい。恩師だろうが誰だろうがもはや関係ない
A軽率(罪を軽く考える):これ位やってもなんてことないだろう
まさかイエスが十字架に架けられることになるなど思ってもなかった
自分の罪の重大さに気づかずに、軽率に大きな罪を犯している
B貪欲(金銭欲):金が欲しいばかりに正しさを捨てて悪を選んでしまう
財布の中身をごまかして自分の利益を求めている(盗み)
お金のためなら恩師のイエスまでも裏切ってしまう
C同調行動(大勢の意見に合わせた):イエスに敵対していた大勢に迎合した
イエスを殺そうとしていた大勢に迎合してしまった
悪とわかっていても大勢と一緒なら大丈夫だという考え方だった
D高ぶり(偉くなりたい、人の上に立ちたい):ゲッセマネで敵対者を率先して誘導
ゲッセマネでのイエスの居場所を知っているのは俺だけだ!
お前らにはわからないが俺は知っている!俺に着いてこい!
E裏切り(悪を隠して偽りの親しさ):イエスを接吻で売ってしまった
親しいふりをしてその実、真逆の裏切り行為を行っている
腹の中はどす黒いのに、表面的には親しげな様子でごまかしていた(偽り)
F殺人(人を死に至らせている):イエスが十字架で死ぬためのきっかけとなった
自分の罪の結果、イエスを死に至らしてしまった
それだけでなく、自分自身も死に至らせてしまった(首をつって死んでしまった)
これらの罪は、他人ごとではありません。
私たちの内側にも、同じものが横たわっているのです。
それを実行に移してしまったのが、イスカリオテのユダだったのです。
私たちは常に祈りつつ、同じ罪を犯さないように主に求めていきましょう!
【今日の聖書】
人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、
ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、
神の恵みにより無償で義とされるのです。
ローマの信徒への手紙 3章23〜24節