何とかして捕らえようと努めている
パウロは、「自分はまだまだ完全ではないから
何とかして捕らえようと努めている」と語っています。
この「まだ完全ではない」という意識が、彼の前進を後押ししていました。
パウロは、自分の状態を正しく認識していました。
自分自身を何か完全なもの、立派な者とするのではなく
まだまだ不完全な者と認識していたゆえ、更にもっと捕えようという意識になったのです。
そのような意識によって、「何とかして捕らえよう」という行動が生じ
そういう行動で、生きていくことになっていくのです。
自己満足から脱却し、更に捕らえようと務めるそういう生き方が求められているのです。
【今日の聖書】
わたしは、既にそれを得たというわけではなく、
既に完全な者となっているわけでもありません。
何とかして捕らえようと努めているのです。
自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。
フィリピの信徒への手紙 3章12節