安息日でも救命作業は行うはず
1.安息日にイエスの前に病人がいた
イエスは、安息日にある議員の家にお入りになりました。
その議員は、ファリサイ派のひとりでした。
その家の中で、人々はイエスの様子を伺っていました。
安息日のことだった。
イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、
人々はイエスの様子をうかがっていた。
ルカによる福音書 14章1節
そこには、水腫を患っている病人がいたからです。
そのとき、イエスの前に水腫を患っている人がいた。
ルカによる福音書 14章2節
2.人々はイエスが癒しを行って安息日の規定を破るかどうか伺っていた
人々の考えは、次のようなものでした。
「イエスならきっと、病人を癒すはずだ。
今日は安息日なのだから、もし今日治療行為をするとするならば
一切の仕事を禁じている安息日の規定に、違反することになる。
安息日の規定にはする者は、死刑に定められているから死刑だ。」
それに対するイエスの言葉は、次のようなものでした。
そこで、イエスは律法の専門家たちやファリサイ派の人々に言われた。
「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」
ルカによる福音書 14章3節
「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」
人々は「いない」と考えていたのです。治療行為は、仕事だと考えていたのです。
けれども、それを口に出す人はいませんでした。皆黙っていました。
彼らは黙っていた。
すると、イエスは病人の手を取り、病気をいやしてお帰しになった。
ルカによる福音書 14章4節
3.病人を癒すことは安息日の規定違反ではなかった
イエスは人々の目の前で、その人を癒されました。
人々は「やっぱり安息日の規定違反だ!メシアなんかじゃない」
「堂々と律法違反をして、神に反逆する者だ!」と思ったことでしょう。
しかしイエスは語ります。
そして、言われた。
「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、
安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」
ルカによる福音書 14章5節
安息日を守ることは、人間が健康に生きていくために必要なことで
人間を生かすために定められた、大切な規定であるにもかかわらず、
「人を助ける行動もしてはならない日だ」と、人々は誤解していたのです。
人を愛して人を生かすために定められた律法が、杓子定規な解釈によって
逆に、「人を助けず生かさない行動」を生み出す結果になっていました。
本末転倒していたのです。
むすび.律法の本質である神の愛を見失ってはならなかった
律法の本質、それは神の愛なのです。
本質を見失って、表面的に解釈してしまうとこういう結果を招いてしまいます。
私たちは、本質をとらえて生きていく必要があるのです。
【今日の聖書】
そして、言われた。
「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、
安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」
ルカによる福音書 14章5節