「祈る必要などありません」と言える人はひとりもいない
1.身体の維持にはいつも食糧の補給が必要
10人家族で、子どもたちが食べ盛りならば
大量の食材の買い出しが、必要になってくるでしょう。
1日2食だとしても、1日に20食は用意しなければなりません。
卵を毎日ひとり1個食べたとしても、毎日10個を購入しなければなりません。
毎食お米のご飯をひとり2合食べるとして、毎日約3キロのお米がなくなります。
10日で30キロの米袋が、空っぽになってしまう計算です。
1か月で30キロのお米を、3袋は買うことになるでしょう。
生鮮食品に至っては、保存期間が短いので頻繁に買いに行かなければなりません。
「うちは食材を買いに行く必要などありません」とは、とても言えません。
2.いつも神との交わりである祈りが必要
祈りも同じなのです。
神の言葉は、霊の糧です。
毎日、霊的に食べる必要があります。
実際の食事の場合、
2日3日何も食べなくても、命には別条ありませんが
身体は確実に、弱っていきます。膝が、がくがくになったりします。
霊の糧を食べずにいると、体には別条ありませんが
霊的に弱っていってしまいます。誘惑に負けやすくなってしまいます。
感情のコントロールも難しくなったり、対人関係でトラブルをきたしたりします。
3.祈らないと霊的に弱ってしまう
食材をいつも買い出しに行かないと、食事ができず身体が弱ってしまいます。
それと同じように、絶えず祈っていないと霊的に渇いて弱ってしまうのです。
渇いた心のままであると、人を潤すことができません。
まず自分が神によって潤されてはじめて、人を潤せるのです。
祈る必要などありませんと言える人は、一人もいないはずなのです。
祈る必要があることに気づくことが、大切です。
【今日の聖書】
わたしは、自分の内には、
つまりわたしの肉には、
善が住んでいないことを知っています。
善をなそうという意志はありますが、
それを実行できないからです。
ローマの信徒への手紙 7章18節