豊作と楽しみ
1.豊作による倉庫改築計画
イエスのたとえ話の中で、豊作を経験した金持ちの話が出てきます。
それから、イエスはたとえを話された。
「ある金持ちの畑が豊作だった。
金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、
やがて言った。
『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、
そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。
「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。
ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』
ルカによる福音書 12章16〜19節
「ある金持ちの畑が豊作だった」というところから、このたとえ話は始まります。
その金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らします。
既存の倉庫では作物が入りきらないので、どうしようかと考えるわけです。
やがてその金持ちは言います。
『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、
そこに穀物や財産をみなしまおう。』
ごく一般的な、みんなが普通に考える考え方だと思います。
普通倉庫が小さくて、入れるものが多ければ倉庫を広げればよいと思います。
通常こういうことは、一般企業でも個人の家でもやっていると思います。
2.蓄財による人生安泰予測
たとえ話の金持ちは、さらに続けて語ります。
『こう自分に言ってやるのだ。
「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。
ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』
なるほどそうだ、数年分の蓄えができたら
仕事も休んで、食べたり飲んだりして楽しむことができる
普通ならそう考えます。
3.自己中心的蓄財が招く破滅
しかし、神の語りかけは違ったのです。
しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。
お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。
ルカによる福音書 12章20節
この地上における命は、神によって与えられ
神によって守られ、人生の期間も神によって定められています。
それを忘れ、あたかも自分の命が財産によって守られているかのように考えて
財産の多さで安心したり、楽しんだりすることの愚かさを
イエスはここで、的確に教えておられます。
財産は神が与えておられるものであって、神に感謝して神のために使うものなのです。
神に感謝をささげ、隣人を愛して隣人のために分け与える事こそ
神の願っておられることなのです。
大事なことは、神を愛し隣人を自分自身のように愛することなのです。
むすび.自分は神の前に富んでいるだろうか?
このたとえ話の「金持ち」は、愚か者だったなあと、他人事のように考えやすいですが
まさに同じことを、私たちもやってしまいがちなのです。
目に見えない神の前に富むことよりも、目に見える地上の富に富むことの方を優先しやすいのです。
ついつい自分のために、地上に富を蓄えることに懸命になってしまう
あり余るものが与えられても、人に与えるよりも自分で囲ってしまう
そういう間違いを犯しやすいのです。
すべては、天のみ国に行ってから明らかになるのです。
後になって後悔する前に、天に宝を蓄えて、
神の前に富むものとなっていたいと、そう願います。
【今日の聖書】
自分のためにたくわえても、
神の前に富まない者はこのとおりです。」
ルカによる福音書 12章21節