避けられた嵐
もしヨナが、主に聞き従ってニネベに行っていたら嵐に会うことはなかったでしょう。
ヨナが主から逃れようとしてタルシシュに向かった結果、嵐に会うことになったのです。
ヨナは嵐の海に投げ込まれることになりますが、そもそも主に従っていさえすれば
そのような苦しみに会うことは、一切なかったのです。
ヨナが主に反発して、主が「行きなさい」と命じられたニネベに行くことを拒否し
タルシシュに向かったからこそ、嵐の苦しみに会ってしまったのです。
そのように、私たちにも避けられる苦しみがあります。
パウロの宣教旅行のように、主に従っているからこそ受ける苦しみというものもありますが
主に従わなかった結果、本来会わなくてもよい苦しみに会ってしまうことがあるのです。
いつでもどこでも、どこまでも主に従って
本来会わなくてもよい苦しみに会わない人生を、送り続けていきたいと願います。
罪を犯して痛い目にあってから悔い改めるのではなく、そもそも極力罪を犯さない人生を歩みたいと願います。
【今日の聖書】
しかしヨナは主から逃れようとして出発し、タルシシュに向かった。
ヤッファに下ると、折よくタルシシュ行きの船が見つかったので、船賃を払って乗り込み、
人々に紛れ込んで主から逃れようと、タルシシュに向かった。
主は大風を海に向かって放たれたので、海は大荒れとなり、船は今にも砕けんばかりとなった。
ヨナ書 1章3〜4節