モーセとイスラエルの民の主への賛美
1.神の偉大なみわざを体験すると賛美せずにはおれなくなる
主なる神によって海が乾いた地に変わり、イスラエルの民はそこを通って対岸に逃れました。
追ってきたエジプト軍は、その同じところで戻ってきた波にのまれて全滅してしまいます。
見事命が助かったそのイスラエルの民の中に、賛美が沸き起こったのです。
海が2つに分かれる奇蹟が起こったために、この賛美が生まれたのです。
海が2つに分かれる奇蹟がなかったら、この賛美はなかったのです。
2.なぜ神は海を2つに分かれさせなければならなかったのか?
エジプト軍が追ってきたため、神は海を2つに分かれさせなければならなかったのです。
エジプト軍が来なければ、イスラエルの民は陸の道を通れば良かったわけです。
命の危険が迫ったため、神は海を2つに分けられてかわいた道を作られたのです。
エジプト軍が追ってこなければ、海は分かれることもありませんでした。
そして海が2つに分かれる奇蹟がなかったら、この賛美はなかったのです。
3.差し迫った生きるか死ぬかのような凄まじい状況こそが新しい賛美を生み出した
もしイスラエルの民が、エジプトで奴隷になっていなかったらどうだったでしょうか?
出エジプトはなかったことでしょう。もしあったとしても、平和の内に出て行って
エジプト軍に追われることもなく、海がわかれることもなかったでしょう。
イスラエルの民がエジプトで奴隷としてひどく苦しめられ
その苦しみがさらに増し加わって、労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた結果
出エジプトが起こったのです。
それから長い年月がたち、エジプト王は死んだ。
その間イスラエルの人々は労働のゆえにうめき、叫んだ。
労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。
神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。
出エジプト記 2章23〜24節
さらに出て行ったイスラエルの民を、エジプト軍が追ってきて追いついたからこそ
民は、差し迫った生きるか死ぬかのような凄まじい状況に置かれたのです。
そのような差し迫った状況になったからこそ、神は海を2つに分かれさせなければならなかったのです。
エジプトでの奴隷生活がなければ、出エジプトすることもエジプト軍が追ってくることもなかったのです。
エジプト軍が追ってこなければ、海は分かれることもありませんでした。
海が2つに分かれる奇蹟がなかったら、この賛美はなかったのです。
むすび.苦しみの経験とそこからの救出が賛美になった
この賛美はどういう状況下でうまれたのでしょうか?
やっとの思いで奴隷状態から脱出したのに、エジプト軍に追われて追いつかれて
絶体絶命の状況に追い詰められた時に、神によって助け出されたその時に生み出されているのです。
この賛美は、神のなされたみわざの素晴らしさを克明に証ししています。
この賛美は、神がいかに神の民を敵の手から守られるかを証ししています。
この賛美は、神の栄光をあらわすものでありその体験をした者でしか作れなかったのです。
この苦しみの体験を通ったからこそ、新たにこの賛美が生み出されているのです。
出エジプトしたその日には、賛美は生み出されていたかどうかわかりません。
しかし葦の海を通過して助け出されたその後には、このような素晴らしい賛美が生み出されているのです。
【今日の聖書】
モーセとイスラエルの民は主を賛美してこの歌をうたった。
主に向かってわたしは歌おう。
主は大いなる威光を現し
馬と乗り手を海に投げ込まれた。
主はわたしの力、わたしの歌
主はわたしの救いとなってくださった。
この方こそわたしの神。
わたしは彼をたたえる。
わたしの父の神、わたしは彼をあがめる。
出エジプト記 15章1〜2節