遠回りが最善だった
無事エジプトを脱出したイスラエルの民を、神は遠回りさせています。
神は彼らを、近道であったペリシテ街道には導かれませんでした。
そこにはペリシテ人が住んでおり、どうしても戦いが避けられなかったからです。
戦いを仕掛けられた時に、イスラエルの民が戦って勝てれば問題はなかったのですが
「ペリシテ人たちと戦わねばならない」ということがわかった途端に
民が後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれなかったのです。
神はイスラエルの民の心を、よくご存知でした。
どういう状況になったら、どんな反応を示すかということをよく知っておられたのです。
それで、あえて民を近道ではなく遠回りさせたのです。
遠回りこそイスラエルの民にとって、最善だったのです。
モーセに率いられたイスラエルの民は、ペリシテ人に会わない迂回路を通って
進んだのです。遠回りであっても神のなさることは、いつでも最善なのです。
私たちも「何で速やかに進まないのだろう」「なんでこんなに時間がかかるのだろう」
と思い悩みそうになることが、あるいはあるかもしれません。
しかし、神はあえて遠回りさせられることもあります。
最後まで、神に信頼し続けることが大切です。
【今日の聖書】
さて、ファラオが民を去らせたとき、
神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。
それは近道であったが、民が戦わねばならぬことを知って後悔し、
エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。
出エジプト記 13章17節