今日のできごと


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2022/8/30(火)

 

松江地域連合牧師会

 今日は、松江地域連合牧師会が、日本基督教団秋鹿あいか教会で開かれました。
 開会礼拝はこの春、秋鹿教会に赴任された合田先生より
 マタイによる福音書25章の10人の乙女のメッセージでした。

 メッセージを聞きながら、私もいろんなことを教えられました。

1.賢いおとめと愚かなおとめの違いは「油の用意」だけだった

 愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。
 賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。
 マタイによる福音書 25章3〜4節

 10人のおとめたちは、花婿を迎えに出て行くためにそれぞれともし火を持って行きます。
 愚かなおとめたち5人は、ともし火だけで油の用意をしていなかったのですが
 もう一方の賢いおとめたち5人は、油を持っていっています。

 おとめたちは全員、ともし火を用意していました。そこには何の違いもありません。
 花婿が来るのが遅れたので、全員眠ってしまっていました。これも、全員同じです。
 花婿が来たことがわかると、全員ともし火を整えました。ここまでは全員、すべて同じなのです。

 違っていたのは、油を用意していたかいなかったかだけでした。

2.油がなかったおとめたちは婚宴の席に入ることができなかった

 2.1 おろかなおとめたちは油切れになってあわてた

 真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がして、
 おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えました。
 しかし、油切れが発生しつつあったのです。

 油を用意していなかったおとめたちは、あわてます。
 油を用意していたおとめたちは、あわてることはなかったのですが
 用意していなかったおとめたちは、分けてもらおうとします。

 愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。
 『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』
 マタイによる福音書 25章8節

 2.2 おろかなおとめたちは油を買いに走った

 しかし賢いおとめたちが用意していた油も、分け与えるほどの量はなく
 自分の分しかなかったのです。

 賢いおとめたちは答えた。
 『分けてあげるほどはありません。
 それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』
 マタイによる福音書 25章9節

 2.3 おろかなおとめたちは婚宴に間に合わなかった

 結局買いに行っている間に花婿が到着し、戸が閉められてしまったのです。

 愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、
 用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。
 マタイによる福音書 25章10節

 もはやすべてが遅すぎたのです。
 油を買って来れたものの、婚宴の席には着くことができず
 締め出されてしまったのです。

3.再臨のために心の内側の準備が重要

 「整える(コスメオウ)」という言葉は、現在のコスメの元になった言葉で
 外側を飾る、整えるという意味合いの言葉になります。
 内側ではありません。外側を整えるという言葉なのです。

 ともし火は外側を照らし、目にはっきり見えます。
 油はどうでしょうか?ともし火は見えても、それを燃やしている油は見えません。
 内側の油がなければ、外側のともし火はどんなに整えても消えてしまうのです。

 外側の行動、外見などがしっかりしているようにみえても
 内側に油がなければ、外に見えているものはもろくも崩れ去ってしまうのです。
 内側が大切なのです。外側に見える行動や外見よりも、内側が重要なのです。

 花婿の到着は、イエス・キリストの再臨を表しています。
 花嫁というのは、男も女も関係なく私たちひとりひとりを表しています。
 イエスの再臨の時に、私たちの内側に油がなくてはなりません。

 聖霊の油が、私たちの内側にある必要があるのです。
 それは、人に分けてもらえるようなものではありません。
 自分自身が、信じて受け取り持ち続けている必要があるのです。

むすび.今私たちのうちに聖霊の油が満ちているだろうか?

 キリストは、やがていつの日か再臨されます。
 それがいつなのかは、だれも知りません。誰にもわからないのです。
 一体いつになったら来られるのだろうと、待ちくたびれ頭から離れてしまった時に

 突然、来られるかもしれません。
 自分は教会の礼拝に通っているから大丈夫だ、
 いろんな良い働きもしているから大丈夫だとは言えません。

 問題は、内側にあるからです。
 自分の内側に聖霊がおられるだろうか?ここが重要ポイントなのです。
 せっかく信じたのに聖霊を悲しませ、聖霊を消してしまっていないだろうか?

 “霊”の火を消してはいけません。
 テサロニケの信徒への手紙一 5章19節

 信じて聖霊が内在してくださったなら、聖霊を悲しませることから離れ
 聖霊に導かれて、歩み続ける必要があるのです。
 聖霊にゆだねて、聖霊の実を結ぶ生き方をし続けてゆくことこそ大切なのです。

 【今日の聖書】
 その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。
 しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。
 だから、目を覚ましていなさい。
 あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」
 マタイによる福音書 25章11〜13節


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