できないモーセを主は選び用いられた
モーセは自分のことを、「口と舌が重い」と認識していました。
それでもなお、モーセは主に言った。
「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではありません。
あなたが僕にお言葉をかけてくださった今でもやはりそうです。
全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです。」
出エジプト記 4章10節
モーセは人に対して語ることを、不得手としていたことがわかります。
しかし神はそんなモーセを、イスラエルの指導者として立てられたのです。
モーセが何をどう語ろうかと、自分で思案する必要はありませんでした。
モーセと共におられる神が、語るべきことを教えて下さろうとしておられたからです。
神が共にいて下さる時、「私はできない」という現実が
「神がしてくださるからできる」という未来へと、変わるのです。
できないと思っていたモーセが、見事にイスラエルの指導者としての働きを成し遂げ
神の力によって、イスラエルを指導してエジプトから脱出させているのです。
できないモーセに神が力を与え、協力者も与え大いに用いておられるのです。
自分にはできないということを、悲観する必要はなかったのです。
私たちも同じです。自分にはできないということを、悲観する必要はないのです。
共にいて下さる神が、できない私に力を与えてできるようにしてくださるからです。
【今日の聖書】
それでもなお、モーセは主に言った。
「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではありません。
あなたが僕にお言葉をかけてくださった今でもやはりそうです。
全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです。」
主は彼に言われた。
「一体、誰が人間に口を与えたのか。
一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、
目を見えるようにし、また見えなくするのか。
主なるわたしではないか。
さあ、行くがよい。
このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。」
モーセは、なおも言った。
「ああ主よ。
どうぞ、だれかほかの人を見つけてお遣わしください。」
出エジプト記 4章10〜13節