どこまでも主に信頼する
1.ダビデは、嘆き悲しみの中にいた
ダビデは、嘆き悲しみの中にいました。
主よ、憐れんでください
わたしは嘆き悲しんでいます。
主よ、癒してください、
わたしの骨は恐れわたしの魂は恐れおののいています。
主よ、いつまでなのでしょう。
詩編 6編3〜4節
「主よ、いつまでなのでしょう」と語っています。
いつまで悲しみが続くのでしょうか?と神に訴えているのです。
2.ダビデの嘆き悲しみは非常に大きかった
その悲しみと嘆きも、決して小さなものではありませんでした。
わたしは嘆き疲れました。
夜ごと涙は床に溢れ、寝床は漂うほどです。
詩編 6編7節
「夜ごと涙は床に溢れ、寝床は漂うほど」だったというのです。
さらに「苦悩にわたしの目は衰えて行き」と語っています。
苦悩にわたしの目は衰えて行き
わたしを苦しめる者のゆえに
老いてしまいました。
詩編 6編8節
どれほどの苦痛が、彼に襲い掛かっていたことでしょうか?
3.それでもダビデは主に信頼した
けれどもその中でダビデは、主に信頼しています。
主はわたしの嘆きを聞き
主はわたしの祈りを受け入れてくださる。
詩編 6編10節
むすび.どこまでも主に信頼する
嘆き悲しみが、それまでとは比較にならない程大きい時がやってきます。
その時私たちは、どうすればよいのでしょうか?
悲観に暮れるのでしょうか?絶望に打ちのめされるのでしょうか?
それでも、どこまでも主に信頼し続けるのです。
ダビデは人世途中で、倒れてしまったでしょうか?
最後まで、主なる神が支え続けていてくださったのです。
どこまでも主に信頼してゆく時、必ず主が最後まで支えて下さるのです。
主をどこまでも信頼し続けていくことこそが、とても大切なことなのです。
【今日の聖書】
どこまでも主に信頼せよ、
主こそはとこしえの岩。
イザヤ書 26章4節