だれかが弱っているなら
パウロは「だれかが弱っているなら
わたしは弱らないでいられるでしょうか。」と語っています。
誰かが弱っている時、パウロも同じように弱っていたのです。
誰かが弱っている時、見て見ぬふりをすることもできます。
誰かが弱っている時、「彼は可哀そうになあ」と思うこともできます。
しかしパウロは、誰かが弱っている時自分も同じように弱っていたというのです。
弱っている人と共に、自分自身も弱っていたのです。
弱っている人に対して、「大丈夫だ、がんばれ乗り切れ」と叱咤激励するのでもなく、
上から目線で、「私があなたを慰めてあげよう」というのでもありませんでした。
「あなたはこうしたら、弱さから抜け出せますよ」とアドバイスするのでもなければ
「そんなことで、弱っている場合ではない!」などと、叱りつけたりもしていません。
一緒に弱っていたのです。
その人と同じ立場に立って、その人と同じ気持ちになって
寄り添っていたのです。本当に弱っている時は、アドバイスや励ましなどではなく
一緒に弱ってくれることが、大きな助けになります。
【今日の聖書】
だれかが弱っているなら、
わたしは弱らないでいられるでしょうか。
だれかがつまずくなら、
わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。
コリントの信徒への手紙二 11章29節