アベルもまた罪人だった
1.カイン同様アベルもまた罪人として生まれついていた
カインは、アベルを殺すという罪を犯したので
「カインは罪を犯した人物だった」と印象付けられますが
殺されてしまったアベルもまた、罪人であったことには変わりありません。
アダムとエバから始まった罪の性質を、カイン同様
アベルもまた、受け継いでいたはずです。
アベルだけは罪を持たずに生まれてきた、というわけではなかったはずです。
2.カインとアベルの違いは神に対する姿勢
にもかかわらず、なぜアベルは
「神に受け入れられる良い献げ物」を神にささげるという善い行いができ、
カインにはそれができなかったのでしょうか?
アベルの献げ物は、肥えた羊の初子でした。
アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。
主はアベルとその献げ物に目を留められたが、
創世記 4章4節
「肥えた初子」ということから、アベルには神を畏れかしこむ思いがあった
ということがわかります。
アベルとカインの違いそれは、神に対する姿勢だったのです。
アベルはカイン同様、罪人として生まれてきましたが
罪をもって生きていたにもかかわらず、その中で、
神を畏れ敬うことを、選び取っていたのです。
3.罪人であっても神に従う決断はできる
神の前に、罪人として生まれついていたとしても、
だからと言って、自分の罪の中で
「罪に身を委ねて生きるしかない」のではありません。
たとえ罪人であったとしても、神に従う決断をすることはできます。
もちろん逆に、罪に身を委ねて生きる決断もできます。
どちらを選ぶかは、私たちにゆだねられています。
アベルのように、神に従って生きる決断をするのか
カインのように、罪に身を委ねて生きる決断をしてしまうのか
どちらも自由に選べるのです。
けれどもその選択には、異なる結果がついてくるのです。
たとえ殺されたとしても、神の元で永遠に生きるのか
罪の報いを刈り取る苦難の人生を歩み、最後に永遠に滅びるのか
むすび.神に従って生きるという決断をしよう
私たちは、カインを反面教師とすることができます。
そして、アベルを模範とすることもできるのです。
アベルのように神を畏れかしこみ、神に従って生きるという決断ができるのです。
カインのようにではなく、アベルのように生きていく決断を
今日もしていきたいと願います。そのために、その決断を
し続けていくことができるよう、今日も神に助けを求めて祈るのです。
【今日の聖書】
アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。
主はアベルとその献げ物に目を留められたが、
創世記 4章4節