今日のできごと


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2022/3/1(火)

 

サライの願いを聞き入れてしまった

1.アブラハムは妻サラの間違った提案を受け入れてしまった

 アブラハムの妻サラ(当時の名はサライ)は、子どもが生まれなかったので
 自分に仕える女奴隷ハガルを、夫アブラハムの側女そばめにして
 彼女によって、アブラハムの子供を生まれさせようと考えます。

 「どうぞ、わたしの女奴隷のところに入ってください。
  わたしは彼女によって、子供を与えられるかもしれません。」
 アブラハムはこの提案を受け入れてしまい、ハガルとの間に子をもうけてしまうのです。

 ハガルとの間に生まれた子イシュマエルは、神の定めた約束の子ではなく
 その後にサラとの間に生まれた子イサクこそ、神の定めた約束の子でした。
 サラのアブラハムに対して提示した提案は、明らかに間違っていたのです。

2.アブラハムはサラの提案を受け入れるべきではなかった

 アブラハムは、明らかに間違っていた妻サラの提案をそのまま受け入れてしまい
 ハガルとの間に子をもうけてしまいましたが、そこからアブラハム家に
 ハガルとサラとの間の混乱と争いが、生じていくことになるのです。

 アブラハムは、妻サラが「主はわたしに子供を授けてくださいません。」
 と言ってきた時、それを否定するべきでした。
 「今まではそうだったかもしれないが、将来必ず与えて下さるに違いない」と

 その言葉を、きっぱりとはねつけなければならなかったのです。
 「神が約束してくださったのは、自分たち夫婦の間の子供なのだ」と言うべきでした。
 アブラハムは、自分自身の信仰をはっきりと示すべきだったのです。

 「どうぞ、わたしの女奴隷のところに入ってください。」と言う言葉に対しても
 「そういうことは、神の約束を疑うことになるからできない」とはっきり語って
 断るべきだったのです。

3.愛する妻の提案でも断るべき時は、はっきりと断るべき

 たとえ愛する妻の提案であったとしても、神の御心に反する提案であったなら
 毅然として、断らなければならなかったのです。
 妻の間違った言葉に妥協してしまったところに、失敗の原因があったのです。

 妻を愛するということは、妻が間違ったことを提案してきた時に
 それに同調してしまうのではなく、それを正して本来するべき良い判断と決断へと
 導くことなのです。

 「私は神の約束を信じているから、決してハガルを側女とはしません」
 この言葉こそが、とても重要で必要な言葉だったのです。
 サラの機嫌をとること、顔色をうかがう事、調子を合わせる事は、真の愛ではなかったのです。

むすび.妻の提案を受け入れたことが妻を苦しめる結果につながった

 結局、妻サラの意見を受け入れてハガルを側女にしたことによって
 サラ自身を、更に苦しめることになってしまったのです。
 ハガルによって生まれた子を、最終的には追い出さなければならなくなってしまったのです。

 妥協することは、はじめは「うまくいく」と感じられるのですが
 徐々に「うまくいかなく」なり、最終的には「大きなダメージを被る」ことに
 なってしまうのです。困難は、妥協で乗り越えるのではなく、信仰で乗り越えるべきなのです。

 【今日の聖書】
 サライはアブラムに言った。
 「主はわたしに子供を授けてくださいません。
 どうぞ、わたしの女奴隷のところに入ってください。
 わたしは彼女によって、子供を与えられるかもしれません。」
 アブラムは、サライの願いを聞き入れた。
 創世記 16章2節


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