安息の年
神は、モーセを通してイスラエルの人々に
「安息年」を守るように、命じておられます。
7年ごとに土地を休ませよ、というものです。
6年間は畑に種を蒔き、ぶどう畑の手入れをし、
収穫作業を行うことができるのですが、
7年目には、「完全な安息を土地に与えなければならない」というものです。
7年目の休閑中の畑に生じた穀物を、収穫したり、
手入れせずにおいたぶどう畑の実を、集めることはできませんでした。
要するに、畑においての一切の労働が禁止されていたのです。
ただし、安息の年に畑に生じたものは食物として
それをとって食べることは、ゆるされていました。
7年目は、1年間まるまる農作業を休まなければならなかったのです。
「土地に休みを与えよ」という命令ですが、
農作業に従事する人々にも、7年ごとに1年間
休みが与えられていた、ということになります。
アダムの犯した罪の結果、男は額に汗して
働かなければならなくなったのですが
神はこのような、7年ごとの安息を与えて下さったのです。
お前は顔に汗を流してパンを得る
土に返るときまで。
お前がそこから取られた土に。
塵にすぎないお前は塵に返る。」
創世記 3章19節
ここに、神の憐れみを感じることができます。
7年に1年、「顔に汗を流してパンを得る」労働を
休ませて下さっているのです。
神は、罪をもって生まれついてしまった人間に対しても
決して憐みを忘れておられない、愛の深いお方であることがわかります。
神の愛は、律法の中にもしっかりと表れているのです。
【今日の聖書】
主はシナイ山でモーセに仰せになった。
イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。
あなたたちがわたしの与える土地に入ったならば、
主のための安息をその土地にも与えなさい。
六年の間は畑に種を蒔き、
ぶどう畑の手入れをし、収穫することができるが、
七年目には全き安息を土地に与えねばならない。
これは主のための安息である。
畑に種を蒔いてはならない。
ぶどう畑の手入れをしてはならない。
休閑中の畑に生じた穀物を収穫したり、
手入れせずにおいたぶどう畑の実を集めてはならない。
土地に全き安息を与えねばならない。
安息の年に畑に生じたものはあなたたちの食物となる。
レビ記 25章1〜6節(前半)