今日のできごと


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2022/2/16(水)

 

主において常に喜びなさい

1.とても喜ぶことができない状況がある

 ベトザタの池の回廊には、病気の人たちが大勢いました。

 エルサレムには羊の門の傍らに、
 ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、
 そこには五つの回廊があった。
 この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、
 体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。
 ヨハネによる福音書 5章2〜3節

 彼らは病気の治ることを願ってそこに居ました。
 彼らは、そこでどういう心情だったでしょうか?喜んでいたでしょうか?
 ほぼ全員が、喜ぶことなどまったくできなかったのではないでしょうか?

2.38年間病気だった人は主イエスにおいて喜べるようにされた

 けれどもその中に、喜びを取り戻した人がいました。

 さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。
 ヨハネによる福音書 5章5節

 そこには38年間も病気だった人がいたのですが、彼はイエスによって癒されます。

 イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、
 「良くなりたいか」と言われた。
 病人は答えた。
 「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。
 わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」
 イエスは言われた。
 「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」
 すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。
 その日は安息日であった。
 ヨハネによる福音書 5章6〜9節

 癒された後、この人には喜びが戻ってきました。
 主イエスに出会ったからこそ、彼は喜べるようになったのです。
 もしこの人が一生イエスに出会っていなかったら、どうだったでしょうか?

 病気のまま、生涯を終えていたかもしれません。
 イエスに出会ったからこそ癒されて、喜びを取り戻すことができたのです。
 イエス抜きには、喜びはやってこなかったのです。

 この人は、主において喜べるようになったのです。
 主イエスは、この人に喜びを与えて下さったのです。
 悲観に暮れるままには、なさらなかったのです。

3.将来起こる主イエスのみわざがわからなかったから喜べなかった

 もしこのように癒されることが、事前にわかっていたらどうだったでしょうか?
 イエスによって癒される前でも、喜ぶことができていたことでしょう。
 これからいやされることが、事前にわかっていたならば、

 これからすごい癒しが、この身に起こるんだ!
 すごいぞ、今は横になっているけれども元気になるんだ!
 イエスのすごさを、この私が表せるんだ!そしてそれが聖書の記事として残るんだ!

 そんな喜びが彼の心を覆っていたことでしょう。
 しかしわかっていなかったから、癒されるまで喜ぶことができませんでした。
 これから起ころうとしているイエスのみわざを知らなかったので、喜べなかったのです。

むすび.イエスによって変えられるからどんなにひどい状況も喜べる

 私たちは、どうでしょうか?
 ひどい状況を見るときに、喜べないのではないでしょうか?
 「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」と言われていても

 「どうしてこのひどい状況を、喜べるのですか?」
 と、疑問を抱いてしまうのではないでしょうか?
 しかしそこに主が働かれると、状況は変わるのです。

 1.5つのパンと2匹の魚しかなかった《欠乏状態》

 5つのパンと2匹の魚しかなくても、5000人の男が満腹してそのパンくずは
 12のかご一杯になっています。

 集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。
 ヨハネによる福音書 6章13節

 2.生まれつき目が見えなかった《病気の状態》

 生まれつき目の見えなかった人は、見えるようになりました。

 そして、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」
 と言われた。
 そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。
 ヨハネによる福音書 9章7節

 3.死んで墓に葬られて4日経っていた《絶望的状態》

 死んで墓に葬れ4日も経っていたラザロが、生き返ったのです。

 こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。
 すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。
 顔は覆いで包まれていた。
 イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。
 ヨハネによる福音書 11章43〜44節

 どんなにひどい状況でも、主を信じて喜ぶことができる 

 あらゆる状況を、益と変えて下さる主を信じるときに、
 私たちは、喜ぶことができるのです。
 主イエスなしでは状況は変化しませんが、主によって変わるのです!

 だからそれを信じる私たちは、どんなにひどい状況でも喜ぶことができるのです。
 ステファノは殉教の死を遂げて、その後生き返ることはありませんでしたが、
 そのことを通して、福音がユダヤとサマリアの全土に広がっていったのです!

 主において常に喜べるのです。だから喜びましょう!
 beforeがどんなに悪くても、素晴らしいafterが待っているのです!
 劇的な変化を、主が起こして下さるのです。

 【今日の聖書】
 主において常に喜びなさい。
 重ねて言います。
 喜びなさい。
 フィリピの信徒への手紙 4章4節


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