うまくいったと思ったら
1.ヨセフはポティファルの家でとてもうまくいっていた
ヨセフは、エジプトのファラオの宮廷の役人であった侍従長ポティファルに目をかけられ
彼の身近に仕え、彼の家の管理をゆだねられただけでなく
彼の財産をすべて、その手に任せられるようになります。
それは、ヨセフと共に主がおられたからでした。
主が彼のすることをすべて、うまく計らわれたのです。
それを見たポティファルが、ヨセフに家のすべてを委ねたわけです。
ヨセフは、ここエジプトでも主が共におられることを体験したわけです。
そしてうまくいったことを、きっと喜んでいたことでしょう。
エジプトに連れてこられたけれども、主はここでも共にいて下さって祝福して下さった!
2.ヨセフはポティファルの妻に言い寄られるようになった
ヨセフは、希望を持つことができたと思います。
ところが、そんな喜びも長くは続かないのです。
ポティファルの妻に言い寄られ、断ったところ濡れ衣を着せられてしまうのです。
彼女は毎日ヨセフに言い寄ったが、ヨセフは耳を貸さず、
彼女の傍らに寝ることも、共にいることもしなかった。
創世記 39章10節
毎日言い寄られますが、ヨセフは賢く振る舞い避けていました。
けれどもついに、ふたりきりになってしまい服を取られてしまいます。
こうして、ある日、ヨセフが仕事をしようと家に入ると、
家の者が一人も家の中にいなかったので、彼女はヨセフの着物をつかんで言った。
「わたしの床に入りなさい。」
ヨセフは着物を彼女の手に残し、逃げて外へ出た。
創世記 39章11〜12節
3.ヨセフはポティファルの妻にはめられてしまい投獄されてしまった
そして彼女はヨセフのことを、ポティファルに偽って語るのです。
彼女は、主人が家に帰って来るまで、その着物を傍らに置いていた。
そして、主人に同じことを語った。
「あなたがわたしたちの所に連れて来た、あのヘブライ人の奴隷は
わたしの所に来て、いたずらをしようとしたのです。
わたしが大声をあげて叫んだものですから、
着物をわたしの傍らに残したまま、外へ逃げて行きました。」
創世記 39章16〜18節
恐ろしい言いがかりです。自分から言い寄ったにもかかわらず、
何もしていないヨセフを、悪人に仕立て上げてしまっているのです。
結局ヨセフは、投獄されてしまうのです。
「あなたの奴隷がわたしにこんなことをしたのです」と訴える妻の言葉を聞いて、
主人は怒り、ヨセフを捕らえて、王の囚人をつなぐ監獄に入れた。
ヨセフはこうして、監獄にいた。
創世記 39章19〜20節
むすび.ヨセフの冤罪による投獄は、実は彼にとって必要なことだった
ポティファルのために一生懸命働き、何も悪いことをしていなかったヨセフが
濡れ衣を着せられポティファルに誤解されて、監獄に入れられてしまいます。
普通だったら、悔しくて悔しくてたまらないところです。
しかしこの苦しみは、ヨセフにとって必要なものだったのです。
神はあえてヨセフに、このような耐え難い苦しみを通らされたのです。
この後エジプトの王の次の位に立てて、ヨセフを大きく用いるために、
神は監獄の中で苦しい毎日を送らせて、彼の心を練り清めようとされていたのです。
この苦しみは、ヨセフにとって必要な苦しみだったのです。
「何で自分ばっかり、こんなに苦しめられなければいけないんだ!」という状況でしたが
それこそが、ヨセフが特別に選ばれていた証拠だったのです。
大きく用いられるためには、苦しみを通過しなければならなかったのです。
その結果、ヨセフは大きく用いられイスラエルのすべての民の命を救うことになったのです。
私たちも「何で自分ばっかり、こんなに苦しめられなければいけないんだ!」
という状況に陥ることが、今後起こるかもしれませんし、今現在起こっているかもしれません。
しかし悲観する必要はないのです。その苦しみこそ、私たちが神に用いられるために必要なのです。
神は私たちを、あのヨセフのように練り清めて大きく用いようとされているのです。
「今まであんなにうまくいっていたのに、何でこんなことになるんだ?」
大きく用いられる前のヨセフも、そうだったのです。
【今日の聖書】
あらかじめひとりの人を遣わしておかれた。
奴隷として売られたヨセフ。
主は、人々が彼を卑しめて足枷をはめ
首に鉄の枷をはめることを許された主の仰せが彼を火で練り清め
御言葉が実現するときまで。
詩編 105編17〜19節