今日のできごと


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2022/1/14(金)

 

キリストの十字架の姿 〜誤解された〜

1.イエスは誤解された

 イエス・キリストは、罪のゆるしと永遠の命を与えにこの世に来られました。
 人々に真理を伝え、救いの道を示されたのですが誤解されました。
 人々はイエスを、民衆を惑わし扇動しローマ皇帝に背かせる者だと決めつけたのです。

 それは、全くの誤解でした。
 惑わすどころか逆に人々の間違いを示し、唯一の真理の道を示されていたのです。
 真実を語っていたにもかかわらず、惑わし扇動する者と誤解されてしまったのです。

2.イエスを誤解してしまった方が悪かった

 誤解される方が、悪かったのでしょうか?
 違います。
 誤解した方が悪かったのです。

 「瓜田かでんくつれず、 李下りかかんむりを正さず」ということわざがありますが
 「誤解されるような行動をとった、イエスが悪いんだ」という理論は成り立ちません。

 「ベツレヘムで生まれたのに、ナザレで育ったから誤解されるんだ」とか
 「安息日に病人をいやすからいけないんだ。平日にいやせばよかったんだ」などと
 言ったところで、それは違っていたのです。誤解してしまった方が、悪かったのです。

3.誤解された結果十字架につけられた

 結局、誤解の上での事実誤認の訴えが、
 総督ポンティオ・ピラトの意見に勝ってしまい、イエスは十字架につけられてしまったのです。
 誤解は、最終的にイエスを十字架刑にしてしまったのです。

 いわゆる「冤罪」です。
 誤解は罪のない人を罪ありとする「冤罪」を生み出します。
 イエスの十字架刑は、罪のないイエスを死刑にするという冤罪だったのです。

むすび.誤解を受けるほど主の十字架に近づく

 私たちも、誤解を受けることがあります。
 誤解されるような行動をとった、あなたが悪いんだと言われることもあるのです。
 けれども、その誤解こそ「十字架にかけられたイエスが受けられたもの」なのです。

 誤解を受ければ受けるほど、私たちは主の十字架の苦しみを知ることになり
 誤解を耐え忍べば忍ぶほど、主の十字架の姿に近づいてゆくのです。
 誤解それは、主イエスがすでに受けられた苦しみなのです。

 【今日の聖書】
 しかし彼らは、「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、
 ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです」と言い張った。
 ルカによる福音書 23章5節


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