同じ働きをしていない
学校に行くと、ほぼみんなが同じことをします。
同じ時間に登校し、みんなで同じ授業を受けて、
同じ試験を受けて、同じ行事に参加して、服装も同じ制服を着ています。
職場も似ています。同じ時間に出勤し、
同じ部署であれば、同じような業務を行い、
制服がある場合は、同じ制服を着て仕事をしています。
教会はどうでしょうか?
礼拝は同じ時間なので、同じ時間に集まることは同じです。
礼拝は同じ時間に同じ場所で、みんなで同じようにささげますが
あとは違います。それぞれ、まったく違っています。
「みんなが同じ働きをするのが、教会なのではない」ということが
ローマの信徒への手紙に書かれています。
働きという点については、みんなそれぞれ違っているのです。
置かれている状況も違い、持っている賜物も違い
神の導きもそれぞれ違うので、それぞれが違う働きをするのです。
ちょうど同じ顔の中にある、目と耳と口のようなものです。
まったく違う働きをするのです。
目が、耳と口の働きを一緒に全部やってしまうことができないように
牧師に限らず、ひとりの人が全部をやってしまうことなどできないのです。
もしそのような教会であるとすると、それは本来的な教会の姿ではありません。
目は目の働きを、耳は耳の働きを、口は口の働きをするのが教会なのです。
【今日の聖書】
というのは、
わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、
すべての部分が同じ働きをしていないように、
わたしたちも数は多いが、
キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、
各自は互いに部分なのです。
ローマの信徒への手紙 12章4〜5節