行いの伴わない信仰はありえない
いよいよスキーのシーズンが、やってきました。
スキー好きな人には、たまらない季節ではないでしょうか?
大山にもスキー場がありますので、松江からも1時間ほどで行くことができます。
以前、関東教区のスノーキャンプに越後中里に行ったことがありますが
その年のその時期はちょうど雪が少なく、無事に着いたのですが
スキー場に雪がありませんでした。
本当に雪が積もっておらず、全く雪のない普通の地面が見えていました。
そのためスキー場では、ダンプカーを何台も使って雪を運んで
何とかコースを作って下さり、私たちはスキーを楽しむことができました。
スキー場に雪がなかったら、もはやスキー場とは言えません。
スケートリンクに氷がなければ、スケート場にはなりません。
信仰も同じで、信仰に伴う行いがなければ信仰とは言えないのです。
1.人への信頼は行動に現れる
人を信頼するなら、その人の言葉を信じた行動をします。
もし友人から「明日のお昼はご馳走しますよ」と言われたら、
どうでしょうか?
その日は、昼ご飯を作ったり食べたりせずに待つことでしょう。
友人を信頼しているからです。
その人への信頼は、「昼ご飯を作ったり食べたりせずに待つ」という行動に現れます。
2.信頼していないことも行動に現れる
もしその人を、信頼していなかったらどうでしょうか?
自分で昼ご飯を作ったり、買いに行ったりして
その人がご馳走してくれなくても大丈夫なように、準備することでしょう。
まったく信頼していなければ、自分で用意した昼ご飯を食べてしまうでしょう。
そして、友人は来ないだろうと思って、どこかに出かけてしまうかもしれません。
信頼していないと、その人の言葉を無視した逆の行動が伴ってしまうのです。
3.信仰は行動を見ればわかる
「ご馳走しますよ」と、友人に言われていたにもかかわらず、
「自分で昼食を作って食べている」という行動を見たら、何がわかるでしょうか?
「この人は友人を信じていない」ということがわかるのです。
信仰は必ず行動に現れるのです。
私たちは「善い行いをする」ことで救われるのではありませんが、
信じたら、「信じたことがわかる行動」が伴うはずなのです。
むすび.口先だけの信仰ではなく真実な信仰を持つ
口先で「信じます」と言うことは簡単です。
けれども心から信じるということは、更なる真剣さと真実さが求められます。
行動が伴う信仰こそが、本物の信仰です。
本物の信仰をもって、神に信頼を置いて進んでいきましょう。
【今日の聖書】
ああ、愚かな者よ、行いの伴わない信仰が役に立たない、
ということを知りたいのか。
ヤコブの手紙 2章20節