今日のできごと


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2021/11/26(金)

 

目標を目指して

 パウロにとって、ファリサイ派の一員であった時やってしまったことは
 救われた当初、大きな後悔を覚える事だったと思います。
 ステファノ殺害に賛成し(使徒8:1)、教会を荒らしまわっていた(8:3)からです。

 けれども、もしパウロがいつまでも後悔の念にとらわれていたとしたら
 あれ程力強い宣教が、できていたでしょうか?
 おそらく、「宣教に行こう」などという気持ちにはなれなかったでしょう。

 パウロは過去の過ちが、すべてイエス・キリストの十字架の血潮によって
 ゆるされたということを、確信していたのです。
 ゆるされているにもかかわらず、いつまでも後悔しているというのは

 ゆるした方に対して、はなはだ失礼なことです。
 「あなたは、わたしがゆるしたことを信じていないのか!」
 という、叱責を受けることになってしまいます。

 パウロは後ろを振り返りませんでした。
 後ろのものを忘れたのです。
 そして、前のものに向かって全身を向けたのです。

 天において、神がキリスト・イエスによって与えて下さる賞を得ることを
 目標として、その目標を目指してひたすら進んでいったのです。
 そのような生き方を「目標を目指して走る」と表現しています。

 クリスチャンの人生は、まさにこの生き方です。
 神がキリスト・イエスによって与えて下さる賞を得ることを
 目標として、その目標を目指してひたすら走るのです。

 私たちの目標は、天における神からの賞であり報いなのです。
 過去に、たとえどんな失敗をしてどんな罪を犯してしまったとしても
 それを振り返らずに、ゆるされていることを確信して目標に向かって進むのです。

 【今日の聖書】
 兄弟たち、
 わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。
 なすべきことはただ一つ、
 後ろのものを忘れ、
 前のものに全身を向けつつ、
 神がキリスト・イエスによって上へ召して、
 お与えになる賞を得るために、
 目標を目指してひたすら走ることです。
 フィリピの信徒への手紙 3章13〜14節


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