満たされ方に明らかな差がついていた
1.聖霊と知恵に満ちた人を選ぶことになった
使徒時代の教会に、やもめに対する日々の分配のことで問題が起こった時、
その解決のために、使徒以外の信徒の中から人を選び出すことになりました。
それで、兄弟たち、あなたがたの中から、
“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。
彼らにその仕事を任せよう。
使徒言行録 6章3節
2.聖霊に満たされるレベルに差がついてしまっていた
「“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。」
この言葉から伺えることは、すべての信徒が全員同じように
「聖霊に満ちた評判の良い人」であったわけではなかったということです。
聖霊に満たされるその満たされ方に、大きな差があったことがわかります。
あの人は素晴らしく満たされているが、あの人はそうでもない
そのような違いがあったことになります。
3.ステファノが突出して聖霊と知恵に満ちていた
3.1 ステファノの名が真っ先に挙げられている
もし全員が同じように聖霊に満たされていたなら、選びようがなかったのです。
そして選び出された7人の中で、ステファノの名前が真っ先にあげられているのです。
一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、
ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、
アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、使徒たちの前に立たせた。
使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。
使徒言行録 6章5〜6節
3.2 ステファノはすばらしい不思議な業としるしを行っていた
ステファノは、聖霊と知恵と信仰と恵みと力に満ちていた人物で
すばらしい不思議な業としるしを、民衆の間で行っていた人でした。
さて、ステファノは恵みと力に満ち、
すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた。
使徒言行録 6章8節
3.3 ステファノはあらゆる反対論を論破していた
いろんな反対者が彼と議論するのですが、
ステファノが聖霊と知恵によって語るので、勝てませんでした。
しかし、彼が知恵と“霊”とによって語るので、歯が立たなかった。
使徒言行録 6章10節
3.4 ステファノの顔は天使の顔のようだった
ステファノは結局、最終法院に連れ出されてしまいます。
そこで反対者から訴えられるのですが、その顔はまるで天使のようだったのです。
最高法院の席に着いていた者は皆、
ステファノに注目したが、
その顔はさながら天使の顔のように見えた。
使徒言行録 6章15節
3.5 聖書全体の内容を的確に把握していた
さらにその聖書知識においても、目を見張るものがあります。
アブラハムから始めて、ヤコブやヨセフ、モーセ、ダビデ、ソロモン、
分裂王国の預言者たちに至るまで、創世記からはじめて
ほぼ旧約聖書全体にわたる内容を、的確に語っています。
「そこに聖書があってそれを読みながら」というのではなく
「何も見ないで」、どんどんと語っているのです。
3.6 神の栄光とイエスの姿を見ていた
さらにステファノは、本来見えなかったはずのイエスの姿を
その目で見ています。
ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、
神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、
「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。
使徒言行録 7章55〜56節
イエスは天に帰られた後だったので、もはや誰の目にも見えなかったのですが
最高法院に出されたステファノには、神の栄光と神の右に立っておられるイエスの姿が
見えていました。
3.7 まるでイエスの十字架の死の時のような殉教の死
極めつけは、その最後の姿です。
石を投げつけられて、殺されてしまうのですが
その時に語った言葉が、まるでイエスのようなのです。
人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、
「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。
それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」
と大声で叫んだ。
ステファノはこう言って、眠りについた。
使徒言行録 7章59〜60節
イエスの十字架での最後の言葉は、
「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」でした。
イエスは大声で叫ばれた。
「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」
こう言って息を引き取られた。
ルカによる福音書 23章46節
ステファノは「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と
語っています。
イエスが十字架につけられた時の祈りは「父よ、彼らをお赦しください。」でした。
〔そのとき、イエスは言われた。
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕
人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。
ルカによる福音書 23章34節
ステファノは、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と祈っています。
むすび.聖霊にもっともっと満たされたいと願いつつ生きたい
@ なぜ差がついていたのか?
なぜ聖霊に満たされる、その満たされ方に
これ程までの差がついていたのでしょうか?
ステファノまでも行かなくても、選び出された他の6人も
ほかの人に勝って、大いに聖霊に満たされていたはずです。
初めの使徒言行録2章4節の時の、聖霊降臨の時に差があったのでしょうか?
あの時は、祈って待ち望んでいた皆が同じように満たされていました。
しかし、使徒言行録6章に至ると、聖霊に満たされるその満たされ方に
差が出てきていることが、わかるのです。
もし全員がステファノと同じように満たされていたなら、選びようがなかったのです。
くじ引きでもかまわなかったのです。
しかし全員が同じではなく、ステファノを筆頭にして
ほかの多くの人々よりも、より聖霊に満たされていた人たちがいたのです。
A 「配給による苦情」という問題から見えてくるもの
この時、「配給による苦情」という問題が生じていたということに、
ひとつのヒントが、隠されているのではないでしょうか?
配給というのは、通常「食事」や「お金」という目に見えるものになります。
霊的なものではなく、物質的なものとなります。
いわゆる神の言葉ではなく、パンなのです。
イエスはお答えになった。
「『人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』
と書いてある。」
マタイによる福音書 4章4節
一旦聖霊に満たされても、神の言葉よりも目に見えるもの
お金や食事や日常生活のことに、心が奪われて行ってしまうと
満たされ続けることが、難しくなってしまうのです。
B 聖霊の占める位置が小さくならないように
私たちの意識の中に、お金や食事やスマホやパソコンやタブレットや
ネットやゲームやアプリや家や車や、そのほかの様々な物が
大きな位置を占めてしまうと、聖霊の占める位置がどんどん小さくなってしまいます。
それらのものよりも、もっともっと聖霊を求める思いをもって
聖霊を求め続ければ続けるほど、より聖霊に満たされて
あのステファノのように満たされることができるのではないでしょうか?
ステファノも、私たちと同じ人間だったのです。
あのステファノのように、私たちも聖霊に満たされることができるはずなのです。
今この瞬間の、私の意識と行動にかかっているのです。
【今日の聖書】
一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、
ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、
アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、使徒たちの前に立たせた。
使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。
使徒言行録 6章5〜6節