本心をいかに神の御心に合致させるか
1.祈りによって本音が、神の御心に近づいてゆく
本音の部分が、神の御心とまったく同じになれたら
本当に素晴らしいことだと思います。
自分自身の本心が、いつでも神の御心と同じであったら
どれ程素晴らしいことかと思います。
どうしても、本音の部分では自分の欲望や好みが入ってきてしまい
神の願っている通りの願いが、抱けずにいるのです。
しかし祈りは、本心の部分を神の御心に近づけるのです。
祈ることによって、自分の本心が変えられていくのです。
2.ダマスコにいたアナニアの本心は御心と違っていた
ダマスコにいたアナニアは、大迫害者サウロのところになど
絶対に行きたくなかったのです。彼の本音は、「サウロなど絶対来てほしくない」でした。
しかし神の願いは、アナニアをサウロのもとに遣わすことだったのです。
すると、主は言われた。
「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、
ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。
今、彼は祈っている。
使徒言行録 9章11節
アナニアの本心は「サウロの所には行きたくない」でしたが
神の願いは「サウロのところに行きなさい」でした。
迫害者のところになど、進んでいく人はいないでしょう。
何をされるかわからないのです。
それまでのサウロの行動からしてみれば
確実に捕縛されることは、目に見えていたのです。
しかし、アナニアは答えた。
「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、
あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、
大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び求める人を
すべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」
使徒言行録 9章13〜14節
3.本心とは違っていた神の願いをアナニアは実行した
アナニアの本心は、神の願っておられることとは正反対だったのです。
しかし祈りの中で、神の声を聞いて御心を知ることによって
彼の心の中は、変えられているのです。
すると、主は言われた。
「行け。あの者は、異邦人や王たち、
またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、
わたしが選んだ器である。
わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、
わたしは彼に示そう。」
使徒言行録 9章15〜16節
アナニアは、神との対話の中で
何としてもサウロの所に行かねばならないということを知るのです。
本心と神の願いとのギャップが、埋められなければならないことに気付きます。
そして最終的には、「それなら行きます」に変わっていくのです。
「サウロの所に行きたくない」が、アナニアの本心であったことは事実です。
もし神との対話がなかったなら、アナニアは絶対にサウロの所に行ってなかったはずです。
むすび.祈りは自分の本心を神の御心に合致させる作業
もし初めからアナニアの本心が、「サウロが救われるために、彼の元へ行かねば!」
というものであったなら、神はアナニアを説得する必要がなかったでしょう。
もっともっとスムーズに、神の一言で彼はサウロの元に駆け付けていたことでしょう。
もっと言えば、「アナニアの本心=神の願い」だったとしたら、
神がアナニアに語りかけなくても、アナニアは自発的にサウロの元に行っていたでしょう。
神がアナニアに語りかける必要すら、なかったはずなのです。
本心で祈ると、自分の本心と神の願いの差に気付きます。
そして、神の願いと自分の本心のギャップを埋めなければならないことに気付くのです。
祈りは、最終的に自分の本心を、神の願いへと合致させるように進ませるのです。
祈らないと、この作業ができません。
いつまでも自分の考えや願い、自分の好き嫌い、自分の欲望に支配されたままなのです。
神の御心と、自分の本心が乖離したままなのです。
そういう状態のままだと、神が用いたくても用いることができないのです。
祈って、本心を神の御心に近づけていただきたく願います。
本音が神の御心と同じになれたら、どれ程素晴らしいことかしれません。
【今日の聖書】
主に従う人よ、主によって喜び歌え。
主を賛美することは正しい人にふさわしい。
琴を奏でて主に感謝をささげ
十弦の琴を奏でてほめ歌をうたえ。
新しい歌を主に向かってうたい
美しい調べと共に喜びの叫びをあげよ。
主の御言葉は正しく
御業はすべて真実。
主は恵みの業と裁きを愛し
地は主の慈しみに満ちている。
御言葉によって天は造られ
主の口の息吹によって天の万象は造られた。
主は大海の水をせき止め
深淵の水を倉に納められた。
全地は主を畏れ
世界に住むものは皆、主におののく。
主が仰せになると、そのように成り
主が命じられると、そのように立つ。
主は国々の計らいを砕き
諸国の民の企てを挫かれる。
主の企てはとこしえに立ち
御心の計らいは代々に続く。
いかに幸いなことか
主を神とする国
主が嗣業として選ばれた民は。
主は天から見渡し
人の子らをひとりひとり御覧になり御座を置かれた所から
地に住むすべての人に目を留められる。
人の心をすべて造られた主は
彼らの業をことごとく見分けられる。
王の勝利は兵の数によらず
勇士を救うのも力の強さではない。
馬は勝利をもたらすものとはならず
兵の数によって救われるのでもない。
見よ、主は御目を注がれる
主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。
彼らの魂を死から救い
飢えから救い、命を得させてくださる。
我らの魂は主を待つ。
主は我らの助け、我らの盾。
我らの心は喜び
聖なる御名に依り頼む。
主よ、あなたの慈しみが
我らの上にあるように
主を待ち望む我らの上に。
詩編 33編1〜22節