イエスは完全に人間と同じになられた
イエスは神であったにもかかわらず、人となられこの世に生まれて下さいました。
その姿は、まったく私たちと同じ姿であって
疲れも、空腹も、渇きも、痛みも、眠さも感じる、完全な人間の姿だったのです。
人間と違って、食べなくても平気だったとか、
どんなに動き回っても疲れなかったとか、痛みを感じなかったとか、
眠らなくても平気だった、などというのではないのです。
人となられる以前は神として、どこにでもおられる遍在のお方だったのですが、
この世に人となられて生まれられたイエスは、ひとつの場所にしかいられず
歩かなければどこにも移動できない、ごくごく普通の人間の姿だったのです。
人となられる以前は神として、全能のお方だったのですが、
この世に人となられて生まれられたイエスは、力においても
人間のできる範囲でしか、できなかったのです。
超人的に、1トンの石を持ち上げるとか、
空を飛んで移動できるとか、100mを1秒で駆け抜けるとか
いつでも水の上を歩いて移動できる、とかではなかったのです。
確かに水の上を歩いた記録はありますが、特殊な場合のみです。
いつもは、弟子たちとともに舟で移動していました。
瞬間移動して町々を巡ったのではなく、巡り歩いておられたのです。
そして最後に十字架に釘付けられたときは、当然痛みを感じていたのです。
激痛から解放される手段を、持ち合わせてはいませんでした。
十字架上で、激しい痛みと苦しみを文字通り味わわれていたのです。
何よりも確かに、人間と同じ姿だったことを示しているのは、
十字架につけられた後、死んでしまわれたことです。
人となられる以前は神として、死ぬことはない存在だったのですが、
この世に、人となられて生まれられたイエスは、
死ぬという点においても、まったく人間と同じ姿になられていたのです。
イエスは、死んで黄泉に下られたのです。
その後、人間の力ではなく神の力によってよみがえらされたのです。
神はこのイエスを復活させられたのです。
使徒言行録 2章32節(前半)
イエスは、まさに人間の姿をとってくださった真の救い主だったのです。
似せられたもの
@像(肖像や彫刻),似た形をしたもの.
A類似,似姿,(同じような)姿,似た形(性質),
【今日の聖書】
キリストは、神の身分でありながら、
神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
かえって自分を無にして、僕の身分になり、
人間と同じ者になられました。
人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、
それも十字架の死に至るまで従順でした。
フィリピの信徒への手紙 2章6〜8節