何の罪を犯したわけでもないのに
イエス・キリストは、何の罪を犯したわけでもないのに
凄まじいばかりの苦しみを受けられました。
嘲られ、罵られ、鞭打たれ、十字架に張り付けられ、殺されました。
イエス・キリストの苦しみは、本来罪人の私たち人間が
受けなければならなかった苦しみであって、それを身代わりに
受けて下さっていたのです。そうして私たちに救いを与えて下さったのです。
苦しみを受けている時、苦しんでいる人に何か罪があるから
だからその罰として、苦しんでいると考えてはいけないことがわかります。
ヨブもそうでした。特別に罪を犯したからというのではなく、悪魔の試みだったのです。
伝道旅行中に数々の苦しみにあったパウロも、まさにそうでした。
数々の苦しい目に会いましたが、パウロが罪を犯していたから
そういう苦しみが来たかと言えば、そうではなかったのです。
逆に主のみこころを行なえば行う程、苦しみがやってきたのです。
もし伝道旅行をしていなければ、何の苦しいこともなかったはずなのです。
福音を伝えるために、伝道旅行をしたがゆえに苦しみにあったのです。
キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、迫害を受けるのです。
もし、迫害を少しも受けていないとするなら、
信心深く生きようとしていないのかもしれません。
どこかで妥協して、主のみこころではなく
自分の欲望に従って生きているのかもしれません。
迫害を恐れずに、主のみこころに生きていきたいと願います。
【今日の聖書】
キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、迫害を受けます。
テモテへの手紙二 3章12節