今日のできごと


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2020/3/15(日)

 

そこにアナニアは居たのか?

1.一同は聖霊に満たされた

 ペトロとヨハネが、脅されて釈放されてきた後、
 彼らは、仲間たちの所に行って報告をして
 一同は、声をあげて祈ります。

 さて二人は、釈放されると仲間のところへ行き、
 祭司長たちや長老たちの言ったことを残らず話した。
 これを聞いた人たちは心を一つにし、
 神に向かって声をあげて言った。
 「主よ、あなたは天と地と海と、
  そして、そこにあるすべてのものを造られた方です。
 使徒言行録 4章23〜24節

 その結果、一同の集まっていた場所が揺れ動き、
 皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだすのです。

 祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、
 皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした。
 使徒言行録 4章31節

2.聖霊に満たされたときそこに誰がいたのか?

 その時、そこに誰がいたのでしょうか?
 ペトロとヨハネが居たのは、確実です。
 しかし、その他大勢の仲間たちの名前が記されていないのです。

 この後、バルナバの名前が出てきますので
 バルナバも、そこにいたのではないかと考えられます。
 では、アナニアはどうだったのでしょうか?

 アナニアは、そこには居なかったのでしょうか?
 それとも、そこにいて一緒に聖霊に満たされていたのでしょうか?
 そこにはいたけれども、彼は聖霊に満たされなかったのでしょうか?

3.アナニアがもしそこにいたとしたら

 3.1 アナニアがそこにいなかったのなら話は簡単

 アナニアはその後、聖霊を欺いて死んでしまいます。
 聖霊を欺くぐらいだから、聖霊に満たされていたはずがない、
 だから、「一同が聖霊に満たされた時、そこにアナニアはいなかったはずだ」

 というのであれば、話は簡単です。
 「アナニアも、そこにいて一緒に祈っていればよかったのだ」
 「そうすれば、彼も聖霊に満たされて、罪を犯さなかっただろう」

 そういうことになってきます。だから、「祈って聖霊に満たされましょう」
 という結論になってきます。
 けれども、「そこにアナニアもいて、聖霊に満たされていた」となるとどうでしょう?

 3.2 もしアナニアもそこにいて聖霊に満たされていたとすると

 これは私たちに対して、大変な警告となってきます。
 一時的に聖霊に満たされて、たとえ大胆に神の言葉を語っていたとしても、
 その後、油断するとサタンに心を奪われて、アナニアのような罪を犯してしまう

 そんな可能性があるのだ、という警告になってきます。

 3.3 もしアナニアが心も思いも一つにした中にいたとすると

 信じた人々の群れは心も思いも一つにし、
 一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、
 すべてを共有していた。
 使徒言行録 4章32節

 信じた人々の群れは心も思いも一つにし、
 一人として持ち物を自分のものだと言う者はなかったのですが
 アナニア以外のすべての人だったのでしょうか?

 アナニアはこの時そこにおらず、心も思いも一つにした人の中に、
 入っていなかったのでしょうか?
 アナニアだけは、心をひとつにしていなかったのでしょうか?

 「一人として持ち物を自分のものだと言う者はなかった」というその中に
 アナニアは入っていなかったのでしょうか?
 アナニアはこの出来事の後から、仲間に入ったのでしょうか?

 もしこの時、アナニアもそこにいて
 みんなと心も思いも一つにし、持ち物を自分のものだと言わずに、
 すべてを共有していたとするならば、それは私たちに対する大きな警告になってきます。

むすび.聖霊に満たされ続けて勝利の毎日を送ろう

 「今日の礼拝は良かった、素晴らしかった」という時
 そこに、大きな罠が待ち受けています。
 「だから今週は素晴らしい一週間だろう」と考えてしまいがちです。

 そこに、油断が生じるのです。
 そこを、サタンは狙ってきます。
 祈らなくても大丈夫、ちょっとぐらい罪を犯しても大丈夫と誘ってきます。

 ヨシュアの時代、エリコの戦いで勝利した後、続くアイとの戦いでは負けているのです。
 エリコで大勝利したから、小さな町アイなんて大したことない、と思ったようでしたが
 たったひとりのアカンの罪によって、アイの人々に負けてしまったのです。

 罪というのは、恐ろしいものです。
 生きている以上、毎日罪の誘惑に負ける可能性があります。
 自分の内側にある、大きな罪との戦いは毎日続くのです。

 昨日勝利したから、今日も自然に勝利するわけではありません。
 日々戦って、勝利してゆく必要があるのです。
 聖霊に、一時的に満たされて満足しているのではなく、

 日々、満たされ続けて行く必要があります。
 昨日罪に勝利したからと言って、満足しているのではなく、
 今日、今の自分の罪と戦い続けて行く必要があるのです。

 信仰の戦いは、毎日続いているのです。
 今日も、聖霊に満たされることを祈り求め
 祈りの中で神の力を頂いて、罪との戦いに勝利していきましょう!

 【今日の聖書】
 それから、イエスは皆に言われた。
 「わたしについて来たい者は、自分を捨て、
  日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
 ルカによる福音書 9章23節


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