風評ではなく事実だった
9年前の福島第一原発3号機の爆発後、放射性ヨウ素131や
放射性セシウム134や放射性セシウム137が、東北地方の太平洋側や
関東地方一帯に飛散した時、いろいろなものが奇形になっていました。
なんだこれは?と驚いていました。
あり得ない形に伸びてしまった家の中の植物、
どう見ても本来の形ではないその姿に、戦慄を覚えました。
ネット上でも、そのような情報がかなり上がっていましたが
いわゆるテレビや新聞には、ほとんど取り上げられることはありませんでした。
なるほど、テレビや新聞だけでは知りえない情報もあるんだと実感しました。
しかし、テレビや新聞には載らなくても、
実際に毎日目にしていたわけですから、奇形が起きているのは事実でした。
事実を語らないというのは、嘘を言っているわけではないのですが
それが事実ではないということを、人々に伝えているようなものです。
私たちが「イエス・キリストは救い主ですよ」と語らないことも、同じです。
「イエス・キリストは、救い主ではありません」と、
語っているわけではないのですが、
もしも、「イエス・キリストが救い主である」ということを黙っているとすれば
それは、それが事実ではないということを、人々に伝えているようなものなのです。
重要な事実なのに、その人の命に関わる事実なのに、
それを語らずに黙っているとしたら、それは災い以外の何物でもないのです。
だから私たちは、イエス・キリストが救い主であることを、
語り続けるのです。
【今日の聖書】
もっとも、わたしが福音を告げ知らせても、
それはわたしの誇りにはなりません。
そうせずにはいられないことだからです。
福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。
コリントの信徒への手紙一 9章16節