正しい父親像
1.父親との良い関係が構築できなかった例
幼少期に父親が仕事で家におらず、物心つくまで父親不在で育った方の話ですが
どうしても帰ってきた父親になじめず、父親との親しい関係が築けないまま
大人になってしまったと言います。
父親は単に怖いだけの存在で、父親にかわいがられた体験がなかったそうです。
父親はほとんど自分をほめてくれず、逆に叱りつけてばかりで認めてくれなかったので
「自分はダメなんだ」と思い込んでしまい、自己イメージがずいぶん低かったと言います。
2.父親に好かれたいという意識が人にも出てしまう
何とか父親に愛されたい、喜んでもらいたいという思いが潜在的にあり
対人関係でも、同じことが出てしまったそうです。
人に好かれたい、嫌われたくないという意識が潜在的に強く存在していたと言います。
結局、幼いころから、相手に逆らうことができずに
相手のいいなりになって、行動するようになったそうです。
嫌われたら大変だから、気に入られるように行動しようという行動パターンです。
3.誰からも嫌われたくないという恐れで行動する
ところが、こういう行動パターンは八方美人であって
人によって行動が、違ってきてしまいます。
あの人にはこう言ったのに、この人にはこう言ってしまうということになり
最終的には、彼は信用できないということになってしまっていたわけです。
基本的に「NO」と言えない行動パターンの、繰り返しだったのです。
その裏には、人に嫌われることに対する「非常に大きな恐れ」が存在していたようです。
人に嫌われないように、嫌われないようにと
必死に自分を相手に合わせて生きていく、自分の意志というのが弱く意志薄弱で
嘘を言ってでも、相手の気に入るように生きて行くようになっていったわけです。
むすび.正しい父親像を持つ
むすび.1 歪んでしまった父親像
この方の父親像は、歪んでいたそうです。
@自分を決して、認めてくれない父親
A自分を受け入れ、喜んでくれることのない父親
B自分がうまくやっても、ほめてくれることのない父親
C「おまえは、何をやってもだめだ」と決めつける父親
D「おまえは、こんなこともできないのか」と失望する父親
むすび.2 父なる神のイメージも歪んでしまう
神は、父なる神と言われています。
その「父」のイメージが、このようなイメージであった場合
神のイメージも、自然とそうなってしまいます。
神は自分を喜んでくれず、認めてくれず、ほめてもくれない、
いつも「おまえはだめだ」「こんなこともできないのか」
「もっとちゃんとやれ」という、受け入れてくれるまでにはまだまだ努力が必要で
もっともっと自分がちゃんとならなければ、受け入れてくれない
そんな父親像です。だから、子供である自分は、とにかく頑張らなければいけない
という、そんな強迫観念が働くのです。
なんでも100点でなければならない、完璧でなければいけない、
そうでなければ、受け入れてもらえない、だから完璧を目指そうとするのです。
80点90点では、がまんできないのです。60点など、あり得ないのです。
むすび.3 父親像を矯正する
しかし、神はそういうお方ではないのです。
いつも私たちを認め、受け入れ、喜び、ほめてくれるお方です。
できないことがあっても、そんなことはちっとも気にせずに愛してくれる方なのです。
厳しいことを言うことがあっても、それは私たちに必要だから言われるのです。
そういう正しい父親像で、父なる神を認識する必要があります。
自分自身の中にある、ゆがんだ父親像を矯正する必要があるのです。
【今日の聖書】
御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。
それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。
世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。
ヨハネの手紙一 3章1節