優しい人に
1.優しい子になってほしい
小さいころ友達のお兄さんが優しくて、自分にもあんな優しいお兄さんがいたらなあ
と思っていた女性が、大人になって結婚して男の赤ちゃんを産んだそうです。
子どもの頃に見た「優しいお兄さん」の印象が、強く心に残っていたその女性は
生まれた子供の名前を付けるときに、男っぽい名前ではなくて
優しい名前にしよう、と思ったと言います。
そしてその子の名前は、音の響きが優しい名前になりました。
母親になったその女性は、その子を男っぽい強い子ではなく
優しい子に育てようと努めて、育てたそうです。
ですから男っぽいことよりもむしろ、優しいことをするようになっていったそうです。
2.優しい子になるように育てた結果はどうだったか?
その子は、とても甘い子になったそうです。
また、強さの必要なことが苦手になりました。
運動することが苦手になり、他の子よりも足も遅く、
逆立ちもできなければ、鉄棒も苦手な子になってしまったそうです。
野球や鉄棒をするよりも、砂場で遊ぶのが好きで
家では、部屋の片隅を囲ってままごとをしたりもしていたそうです。
何よりも、ちょっとでも危険だと、それをこわがってしまう
臆病な子になっていったそうです。
強さの面で欠けたところがあると、本人も自覚していました。
人に対しては、表面的には優しく接するようになったそうです。
乱暴な言葉をはくこともなく、けんかをするわけでもない
荒々しい面はほとんどない、そういう人に育っていったそうです。
逆に言えば、逆境に立ち向かう強さのない、弱弱しい子になっていったそうです。
3.本当の優しさには、厳しさが伴う
このお母さんは「優しさ」を追及して、その子を育てたのですが、
強さ厳しさが伴っていなかったので、単なる「甘さ」に終わってしまったようです。
いつも優しく「いいよ、いいよ」と言って育てたら、わがまま人間が出来上がります。
優しさには、本来厳しさが伴うものです。厳しさ強さを抜きにした優しさはないのです。
自分が食べたくても、「自分が食べずに人にあげる」のが本当の優しさです。
自分が食べたければ、「人にあげずに食べてしまう」のは優しさの反対です。
だから、自分に対する厳しさがないと、人に対する優しさは実現しないのです。
本来「だめだ」と厳しくしなければならない時に、「それはだめだよ」と語らずに、
「いいよ、いいよ」というのは、優しさのようですが単なる妥協に過ぎません。
むすび.本当に優しくなるには強さと厳しさが不可欠
男っぽいごつごつした強さや、たくましさを嫌い
優しい人にしようと、強さを避けて育ててしまった結果、
強さや厳しさに欠けた甘い人間に育ってしまい、
人にも甘く、それ以上に自分に甘い、自己中心でわがままな
真実に優しくなれない、そんな人になってしまったようです。
強さ抜きで優しさだけを追求して育てるということは、本来あり得ないのです。
イエス・キリストの十字架による罪の赦しは、赦しを受け取る私たちにとっては
とても甘美で、優しい救いの恵みですが、
十字架にかかっている方にとってしてみれば、厳しさの極みです。
非常に忍耐力のいる、厳しいものだったのです。
そこには、凄まじい強さが必要だったのです。
凄まじい強さがあってこその、真実な優しさだったのです。
【今日の聖書】
最後に言う。
主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。
エフェソの信徒への手紙 6章10節